〈椿昇 GOLD WHITE BLACK Complex〉
求めるほどに応えてくれる、たたくほどに開かれる
文●石川健次 東京工芸大学准教授(現代美術論、美術批評)
求めるほどに応えてくれる、たたくほどに開かれる
文●石川健次 東京工芸大学准教授(現代美術論、美術批評)
■12をめぐる連想
久々に醍醐味を味わった。それも、ものすごく! 何の醍醐味? 展覧会の、である。作品と会場との相性、肉薄してくる作品の存在感と迫力、会場のそこかしこにあふれる思索への誘惑・・・。すべてに満腹した。ジャンル間の区別をなくし、あらゆる芸術の統合を目指す総合芸術という言葉があるけれども、展覧会というありようこそ、その名にふさわしいとも思わせてくれる、稀有な機会だった。
2010年3月10日(水)朝、その日の毎日新聞朝刊を眺めていて、ふだんから政治面や経済面以上に関心のある地方面(湘南)に載っていた小さなベタ記事に目がとまった。「核ミサイル模すバルーンアート」「川崎・椿さん作品展」との見出しで始まるその記事は、現代美術作家、椿昇の展覧会「GOLD WHITE BLACK Complex」(2010年3月6日から14日まで)を紹介していた。
「GOLD WHITE BLACK」と言えば、昨年2月ごろに京都国立近代美術館で開催された椿昇の個展のタイトルである。あいにく筆者は見逃したが、漏れ聞いてはいた。会場は、神奈川県川崎市川崎区南渡田町の「Think Spot KAWASAKI」(旧日本鋼管体育館)。不勉強な筆者には、聞いたことがない名だ。
とはいえ、椿昇、展覧会のタイトル、そして新聞に掲載されていた長さ30メートル、直径10メートルに及ぶ、ほぼ実物大というロシア製の核ミサイルを模した白いバルーンの作品写真に吸い寄せられ、記事の末尾に書かれていた問い合わせ先に電話してみた。JR川崎駅からバスで行けばいいと、実に親切ていねいに教えてもらった。都心で所用もあったし、それを済ませた後に、逗子の自宅に戻るついでに寄ることにした。でも、もともとは体育館だった会場だ。それほど期待はできないだろう。そのときは、それが正直な気持ちだった。
川崎駅から「川40」のバスに乗り、かなり走って、工場が建ち並ぶ一帯で下車した。電話でも言われていたように、バス停に降りると、すぐに会場へのアクセスを伝える指先が描かれた案内図が目に飛び込んだ。指先に従って歩道橋を渡り、ほんの少し歩くと会場に着いた。まさに体育館だが、すでに使われなくなって久しいように見える。
あいにく展覧会が始まるのは、平日の場合、午後3時から(同8時まで。土日は同1時から同9時まで)。思ったよりも早く着いたので、会場の入り口に用意されていたビデオを見てオープンを待つことに。老朽化した建物は静寂に包まれ、もの悲しく、すきま風もビュービュー入って、なんだか暗欝な気分。にもかかわらず、テキパキと準備する若いスタッフの動きは躍動的で、そんな妙なコントラストを横目に、ビデオのなかの椿昇のインタビュー風景に見入る。
「お待たせしました。どうぞ、こちらからお入りください」とのスタッフの声に腰を上げ、ようやく展覧会場へ。真っ暗だ。おまけに、美術館やギャラリーなど専門の展示施設とは違って、元は体育館だから何があるか分からない。そこかしこに突起物や段差もある。「足もとに気をつけてください」とスタッフに何度も言われた意味がよく分かる。
肝心の作品はと言えば、まずは細長い通路の壁に沿って平面作品が並ぶ。鉱夫を撮影した写真をもとにした作品のようだ。床に取り付けられていたタイトルを読もうと腰をかがめたが、真っ暗で見えない。いずれにしても、どうやらこの展覧会は、京都国立近代美術館で開催された展覧会「GOLD WHITE BLACK」の新たなバージョンのようである。
真っ暗ななか、携帯電話の薄明かりを頼りに、入り口で手渡されたパンフレットを改めて眺めてみると、当の京都での展示を企画した前・京都国立近代美術館館長の岩城見一がこう書いている。「この展覧会は、2009年の2月から3月にかけて京都国立近代美術館で開催された『椿昇 GOLD WHITE BLACK』展を受け取り、それをさらに発展させるものだという」。なるほど、そうであればなおのこと、京都での展示を見逃した筆者には願ってもない出会い、邂逅である。
以下、見終わった後に会場入り口で買い求めた京都国立近代美術館での展覧会カタログを参照しつつ、個々の作品に触れてゆきたい。鉱夫を撮影した写真をもとにした作品は、カタログによれば、12点あるらしい(原稿を書きながら思い返してみると、それよりはやや少なかったような気もするけれど・・・)。作家が自ら南アフリカ・ヨハネスブルグの金鉱山に赴き、撮影した写真に基づいている。
唐突だが、12という数字に突飛な連想をした。目下、東京国立博物館で大々的に開催していた展覧会「没後四〇〇年 長谷川等伯」である(2010年3月22日まで、京都展は京都国立博物館で4月10日から5月9日まで)。とはいえ、深い意味はない。数日前、入場するまで1時間半も待って見たばかりだった「長谷川等伯」展の会場で、最初に並んでいたのが≪十二天像≫という作品だった。
十二天と言えば、「日本では仏教の儀礼が執り行われる空間―四方四維(東西南北と東南、東北、西南、南北)の八方と天地(上下)の二方、そして日月のそれぞれの包囲を護る神々」(「没後四〇〇年 長谷川等伯」展カタログ)で、日本の絵画には古来、しばしば描かれてきた。十二支、十二神将など、12をめぐる連想は尽きないが、それはこの際どうでもいい。こんなことを書くと、十二天だってどうでもいいと突っ込まれそうだが、案外そうではない。
≪十二天像≫では、個々の画面にそれぞれの神が、かなり詳細に描かれている。ところが、肝心の神以外の背景や状況説明などはいっさいない。神のみが、大きく描かれている。椿が作品化した12人の鉱夫も、一目で鉱夫と分かるほどに忠実ではあるものの、写し出されているのは上半身だけ。上半身が大きくクローズアップされているだけで、鉱夫がどこにいるのか、何をしているのかなど、シチュエーションを探る手掛かりは微塵もない。
この鉱夫、実は次世代ゲームのキャラクターとして生み出され、仮想空間上では自動化されたプログラムで動いて、永遠の生命を持っているらしい。つまりは、無名のキャラクターというわけだ。だが、平面作品によるこの展示では、「死せる静止画像」(椿昇)として登場している。生と死をめぐるドラマ、これからこの旧体育館という特異な会場で始まる物語、さまざまな体験が、たとえば生と死をめぐる......というふうな、暗示的な演出とも言えるだろうか。
さらに言えば、たとえば十二天像がそうであるように、安寧や鎮護を保証する神々もまた、まさに生と死と無縁ではありえない。であればこそ、言い換えれば描かれた12人の鉱夫は、私たち見る側の安寧と鎮護を買って出ているようにも筆者には思える。
最初の展示から、いきなりガツン!というような感じで作品が目に飛び込む。一事が万事、こんな調子だ。作品の質はさることながら、美術館やギャラリーなど専門の展示施設とは違って、かつて体育館だった会場ならではのノスタルジーと辛気臭さと不気味さと、それから使い勝手の悪さなど、あらゆる不便やマイナスが、すべて長所に、プラスにと働いている。
平面細長い通路の壁に沿って作品が並ぶ 写真提供:北仲スクール
■イマジネーションと暗示と示唆に富んだ、大人のためのおもちゃ
椿昇という作家は、ただ者ではないと改めて思う。これまで筆者は、2001年の第1回横浜トリエンナーレで話題を呼んだ≪飛蝗≫をはじめ、椿の作品をなんとなく素通りしてきた感がないわけではない。不明を、ただ恥じるばかりである。ただ者ではないという意味では、椿昇展の会場として、この旧体育館を探し当てたスタッフの慧眼も見事と言うほかない。どういう経緯でこの会場が選ばれたのか、一鑑賞者に過ぎない部外者の筆者には知る由もないが、とにもかくにも千載一遇の展示が実現したことはまぎれもない。
その代表格が、今回の展示のなかでもとりわけ秀逸なのが、長さ30メートル、直径10メートルにも及ぶ巨大なバルーンの作品だ。京都国立近代美術館での展覧会カタログによれば、「旧ソ連が作った世界最初の大陸間長距離弾道弾R7の模型、特殊なナイロン(エマソフト)で作られた実物大の模型」である。居合わせたスタッフの話では、あまりに大きいため、京都での展示ではやむなく折り曲げて置かれたそうだ。全身がそのままに展示されたのは、今回が初めてというわけである。
長さ30メートル、直径10メートルにも及ぶ巨大なバルーンの作品 写真提供:北仲スクール
この偽ミサイルは、かつての東西冷戦など、さまざまな連想を導く。再び京都国立近代美術館での展覧会カタログによれば、「R7は先端に核弾頭をつければ広い射程をもつ巨大なミサイルになり、人工衛星をつければ宇宙開発用ロケット、ソユーズになる」というわけで、軍拡と科学の補完や相乗効果、あるいは現代科学の果てなき進化など、きわめて暗示的、示唆的だ。触ってはいけないのだろうが、監視している人がだれもいないので、つい触ってみた。ぷよぷよと柔らかい。現代が抱えるもろさ、科学万能のひずみ、合理的・効率的思考のあやうさなど、イマジネーションの矛先は文字通り際限がない。
でも、この作品がいっそう魅力を放つのは、この作品を見下ろすように設けられた小部屋のガラス越しに眺めたときである。再三触れているように、今回の会場は旧体育館だ。この巨大な作品が置かれているのは、まさに体育館のメインとも言うべきコート上であろう。そのコートを見下ろす2階のどこかに小さな部屋が設けられ、その部屋の窓越しに作品を眺めるように意図されている。
その部屋が、これまた圧巻だ。コンピューターをはじめ、さまざまな機械類が無造作に置かれ、床のそこかしこにさまざまなものが散乱している。さしずめ、この小部屋は、偽ミサイルを制作する際の司令室であり、あるいは偽ミサイルのコックピットを再現してもいるのだろう。見る側は、その小部屋に入り込んだとき、偽ミサイルの制作に立ち会うと同時に、偽ミサイルに搭乗するのだ。
もちろん、大陸間長距離弾道弾に乗りこまされ、発射されたのではたまらない。あくまで、そんな気分と言うべきだろうが、とにもかくにもそんなごっちゃな気持ちがこみ上げてくる。類似する体験をあえて思い浮かべれば、子供のころ、友達と一緒に竹藪のなかにこっそり作った秘密基地が近いかもしれない。そのうえで、改めて部屋の中を見回すと、いったいその散乱ぶりといったら、どうしたのだろうか。制作途中に予期せぬ事態でも生じたのか、あるいは飛行中にアクシデントでも? 妄想にも似た想像は小部屋のなかを駆け巡り、立ち去りがたい衝動にかられた。
偽ミサイル、司令室、コクピット、秘密基地......。まるで子供のおもちゃのようだ。まさにそう! イマジネーションと暗示と示唆に富んだ、大人のためのおもちゃと言っても過言ではない。求めれば求めるほどに応えてくれる万能の辞書、たたけばたたくほどに開かれる魔法の扉――。今回並んだ作品を、その全体を指して、たとえばこう呼べばふさわしいかもしれない。
再三触れている京都国立近代美術館での展覧会カタログ(というよりも、岩城見一の「椿昇論」)についても、改めて特筆しておきたい。今回の川崎での展示に際して用意されたパンフレットも、読み応え十分だ。椿昇や今回の展示をめぐる経緯などに触れる室井尚(横浜国立大学教授、北仲スクール代表)、京都での展示や椿昇について改めて記した岩城見一など、こちらも刺激と示唆に富む。
たった1つの展覧会には過ぎないけれども、視覚を通して、あるいはテキスト(文章)を通して、ずいぶんと豊かな経験を積んだように思う。作品の魅力をいっそう際立たせた旧体育館の存在も見逃せない。いや、建物の潜在力、建物が持つ器としての可能性を、むしろ作家が最大限に引き出したと言ったほうがいいかもしれない。あるいは、その会場を選んだ関係者の英知と努力のたまものとも言えるだろうか。
よくは知らないが、そもそもこの展覧会は、新たな都市文化や都市デザインの創成に向けて、その人材育成を図るため、横浜国立大学を中核に横浜市内で開講された「北仲スクール」(横浜文化創造都市スクール)の主催だという。作品を中心に、ヒトとモノ、コト、さまざまな要素が複雑に絡み、交わって、展覧会はいっそう輝く。たとえば、そのような展覧会を、総合芸術と呼んでみたい衝動を筆者は抑えきれない。
思えば朝、何げなく手にした朝刊の記事に触発され、訪れた展覧会が、まさにまれな体験へ、豊かな記憶、蓄積へと変貌し、昇華した。作品とただ向き合うのが、展覧会の魅力ではないだろう。どのような出会いが待っているのかと期待で胸をふくらませ、初めての地へと足を運び、さまざまなヒトやモノと出会い、帰路には作品の魅力や意味を反すうし、知人に体験を伝え、あるいは同じ体験を味わった人と稀有な時間と経験を分かち合う。それらすべてが、展覧会の醍醐味だ。
筆者自身、年齢を重ねるに連れて、足を運ぶ回数が漸減している思いが否めないが、なんともったいないことだろう。川崎での椿昇展は、その醍醐味を生涯失いたくないと改めて強く思う機会ともなった。