〈第23回UBEビエンナーレ〉
再スタートを切った「UBEビエンナーレ」
――環境と彫刻との共生、そして放縦な冒険へ向けて
文●石川健次(東京工芸大学芸術学部准教授、美術批評)
再スタートを切った「UBEビエンナーレ」
――環境と彫刻との共生、そして放縦な冒険へ向けて
文●石川健次(東京工芸大学芸術学部准教授、美術批評)
■彫刻のある街づくりの先駆者としての意気込み
野外彫刻展の先駆として、日本のパブリック・アートをけん引してきた〈現代日本彫刻展〉(主催・宇部市、毎日新聞社ほか)が、今年で23回目を迎え、新たに〈UBEビエンナーレ〉と名前を改めて再出発した。前回見逃したため、久しぶりの訪問となった〈第23回UBEビエンナーレ〉の模様を紹介しよう。
山口県宇部市で2年に1度開かれてきた同ビエンナーレは、1961年に〈宇部市野外彫刻展〉という名称でスタートして後、2回目には〈全国彫刻コンクール応募展〉、3回目からは〈現代日本彫刻展〉の名で広く親しまれてきた。
半世紀近くを経て、激変する社会環境のなかで野外彫刻の意義を改めて問い直し、また、国際的なコンペティションとしていっそうの地位向上を狙って、新たに再スタートをきったということのようである。
会場の常盤公園は、周囲12kmに及ぶ人工湖の常盤湖を中心に広がる、緑と花に彩られた総合公園だ。公式サイトによると、山口県初の「登録記念物(名勝地関係)」に登録されているほか、NHKが募集した「21世紀に残したい日本の風景」で、総合公園としては全国で第1位にランキングされている。まさに風光明媚な場所だ。
隣接する山口市生まれの筆者は、10代のころから同ビエンナーレを見てきた。半世紀という歳月に、いささかの感慨を禁じえない。バブルの夢があっけなく潰え、多くの文化事業が方向転換を余儀なくされている。にもかかわらず、その歩みを止めることなく、むしろパワーアップして再出発しようという熱意に、野外彫刻展のフロンティアとしての誇りと気概を垣間見る思いがする。
そもそも、宇部市で同ビエンナーレが開かれるようになったのは、街の美化運動がきっかけだ。第2次世界大戦後、瀬戸内海沿岸の有数な工業地帯として発展した宇部市は、経済的な活況と引き換えに、工場から排出される煙や降灰など、公害問題に悩まされるようになった。子供のころの筆者が宇部市に対して抱いていたのも、どんよりと暗い空気に覆われたイメージだった。もちろん、工場などほとんどなかった山口市と比べてだが......。
公害のない、明るく住みやすい街づくりをめざして、まず花と緑で街を彩る運動が進められ、続いて文化の香りにもあふれる彫刻でいっそう華やかに、豊かに街を彩ろうと、ビエンナーレは始まった。作品を公募し、入選作による展覧会を開催するほか、優秀な作品を買い上げて市内各所に恒久設置する。
生活環境の浄化と文化受容の一石二鳥とも言える、こうした彫刻のある街づくりは、宇部市を先駆に全国に波及した。現在、宇部市内には約240点の野外彫刻が点在する。現在、宇部市は、"花と緑と彫刻のある街"をキャッチフレーズに、官民一体となって街づくりを進めていると聞く。
■環境との共生とダウンサイジング
今回のビエンナーレには、42カ国392点の応募があり、海外作家6人を含む20人20点の作品が並んだ。訪れた日は開幕して最初の日曜日、天気にも恵まれ、多くの来場者でにぎわっていた。人の姿が目立って見えたのは、その数のせいだけではないように思う。
前回から作品サイズの規定が変更され、従前よりも小さくなった。街中に設置することを前提としているため、どれだけ大きくても構わないというわけにはゆかないだろう。相次ぐスクラップ・アンド・ビルドで、融通の利く空間が都市には希少なのは言うまでもない。小回りの利く小型車が人気を集めるように、ダウンサイジングはここでも避けられないのだろう。サイズが人に近づいたぶん、広大な野外という舞台で、人ごみに交じって彫刻が際立ちにくくなった印象を受ける。
さて、感興を誘われた作品を紹介してみたい。池上奨(いねがみ・すすむ)の≪ANOTHER VISION≫は、一昨年の能登半島地震を作家自身が体験したことに触発されて生まれた。マグニチュード6・9を記録したこの地震では、死者が出たほか、多くの家屋が倒壊した。≪ANOTHER VISION≫は、一見すると、赤御影石でつくった大きな壁だ。壁は湾曲し、上から見ると、S字のように見えるはずだ。
柱状の石をいくつも立ててつくられた壁は、よく見ると、へこんだ部分の石の割れ目は直線的で、整然としている。一方、見る側に向かって隆起して見える部分の割れ目は不揃いで、荒々しい。へこんだところを平時とすれば、隆起しているところは地震によって波打つ大地をほうふつとさせる。自然の力を誇示するように立つ壁は、自然の猛威を象徴する薄化粧に彩られている。寡黙で饒舌な薄化粧に・・・。
池上奨 「ANOTHER VISION」
吉村延雄(よしむら・のぶお)の≪風任せ≫は、薄い金属の板が、地面から上へ向かって円弧状につなぎ合わされ、風にあおられる稲穂のようにそっている。人生すべて風任せ、とでもいうような達観した境地を思わせる。とはいえ、そこは金属だ。大地にしっかり根を張って、風に逆らって盛り返そうと頑張っているふうにも見え、ユーモラスな作品でもある。
シンプルでスリムなプロポーションは、周囲を圧倒する迫力はない。だが、自然親和的に環境を支え、また環境に支えられ、起伏に富んだ景観を生む。言い換えれば、環境との共生やダウンサイジング、これらの要請にも十二分に応えてくれていると言えようか。
サイズが小さくなったことが大きいのだろう、ひところは主流のようにも見えたインスタレーション的な作品は、めっきり減った。例外は、中山敬章(なかやま・ひろあき)の≪帰ってきた≫だ。石で大きな門をつくって、少し離れたところに石のイスが置かれている。イスに座って、門を眺めると、その向こうに景色が広がる。
初期ルネサンスの天才、アルベルティは「絵画は世界に向かって開かれた窓」と言ったが、それをもじって「門は世界に向かって開かれた窓」とでも言ってみたくなる。実際、門越しに景色を眺めていると、ただ景色に対面しているだけではなく、自身の来し方行く末にも思いをはせた。入り口であり、出口ともなる門が、そのような連想を誘うのだろう。
吉村延雄 「風任せ」
中山敬章 「帰ってきた」
山崎哲郎(やまざき・てつろう)の≪大地にて≫は、やや厚みのある金属の板を、まるでメビウスの帯のようにつなげた作品だ。少しずつねじられながらつながってゆく様子はリズミカルで、金属と戯れながら創作する作家の姿が目に浮かぶ。リズミカルな印象に誘われ、見ているこっちも愉快な気分になる。小室正光(こむろ・まさみつ)の≪台地の日月≫も、見ていて楽しい。"〇△☓"を視覚化したような作品だが、タイトルにもあるように、太陽や月、大地などダイナミックな想像への扉も用意している。
山崎哲郎 「大地にて」
小室正光 「台地の日月」
準大賞に当たる宇部興産賞を受賞したのは、大井秀規(おおい・ひでのり)の≪Gravitation≫だ。重力を意味するタイトルが示す通り、力感あふれる作品だ。大地をえぐるように四角く切り取り、3つの黒御影石にのせた。膨大な量感は、圧倒する迫力に満ちている。同時にそれは、自然が抱える力、エネルギーの凝縮された姿だ。
大賞には、韓国から参加したヨム・サンウクの≪自意識≫が選ばれた。幾何学的で整然とした立体を、その両側からひも状のものが引っ張る。伸びきったひもに、緊張感が宿る。対照的な風情は、静と動、秩序と混乱、知性と野蛮など、多様な想像へ見る側を導く。イメージの喚起力という点で、見事な手際だ。
洗練され、スマートな姿態は、水と緑にあふれる野趣満々な自然のなかよりも、ガラスとコンクリートに覆われた都会の日常のなかで、いっそう輝くかもしれない。市内に設置されて後、改めて見てみたい。
大井秀規 「Gravitation」 宇部興産賞
ヨム・サンウク 「自意識」 大賞
海外からの作品で印象に残ったのは、他にはアメリカから参加したフィリース・ベーカー・ハモンドの≪REDEFINED SPACE≫くらいだろうか。名実ともに国際色を鮮明にするためにも、海外での周知をいっそう行い、肝心の作品で日本を圧倒するような出会いを期待したい。
フィリース・ベーカー・ハモンド 「REDEFINED SPACE」
■奔放で実験的な作品と向き合えるステージであり続ける努力を
サイズが縮小され、自在な冒険には不利な条件が増えたとも言える新生「UBEビエンナーレ」だが、街の美化という創設の理念、前提を考え合わせれば、後ろ向きな選択とばかりは言えまい。あらかじめ設置場所が決まっていて、作家に周知されているわけでなく、すでに相応に整った環境のなかに来客を迎えるように彫刻を鎮座させてゆく作業は大変だろう。個人的には、作品が設置される予定地をあらかじめ公表するとか、設置と同時に予定地の周辺も含めて環境と作品とがいっそう交歓し合い、響き合える空間へと改修するなどの方策を検討することも、選択肢に挙げられるだろうと思う。
彫刻のある街づくりを進める先駆として、環境と彫刻との共生、新たな出会いを演出しつつ、一方では、奔放で実験的な作品と向き合えるステージであり続ける努力を、果敢に続けてほしいと願う。その過程で多様な知恵が、文字通り新たな創造がはぐくまれてゆくのだろうと思う。
*11月15日まで、ときわミュージアム(常盤公園内)。入場無料。