〈第53回ベネツィア・ビエンナーレ〉最終回
〈第53回ベネツィア・ビエンナーレ〉
圧巻のやなぎみわ、そして交錯する生と死、希望と不安
文●石川健次(東京工芸大学芸術学部准教授)
〈第53回ベネツィア・ビエンナーレ〉
圧巻のやなぎみわ、そして交錯する生と死、希望と不安
文●石川健次(東京工芸大学芸術学部准教授)
■千差万別の世界を映す鏡になりきろうとしている?
今回のビエンナーレを統括するディレクターに就任したのは、ダニエル・バーンバウム、46歳だ。テーマは「世界を創造する」。アートは世界観と不可分で、またそれを目に見える形で示し、あるいは社会や世界と対峙することもある。漠としたテーマだが、各国パビリオンでの展示を見ても、文字通り緩やかな枠組みといった程度に考えたほうがいいだろう。個々の作品にみられる特徴、思考に素直に目を、耳を傾けることが、まず何よりだ。
アルセナーレの会場入り口には、企画展の顔とも言える作家、作品が並ぶ。今年は、ブラジルのリジア・パペ(1927~2004)。数年前に亡くなった作家だ。金の糸のようなものが、まるで光そのものであるかのように空中に浮かぶ繊細な作品だ。次いで、アルテ・ポーヴェラの作家として知られるイタリアのミケランジェロ・ピストレット(1933~)の登場だ。作品は、トレードマークと言ってもいいだろう、鏡面の絵画だ。ピストレットはかつて、「絵画と生活の両方が機能している全体のシステムを明らかにするために、絵画を生活の縁へと運ぶ」と述べている。なるほど、異なる時間軸――絵画と生活とをあえて区別すればの話だが――そうした時間軸のはざまに立たされていることを、どっちつかずの微妙な感覚を、ピストレットの作品を前にしばしば抱く。
リジア・パペ作品
ミケランジェロ・ピストレット作品
ポーランド生まれで、現在はイタリアを本拠に活動中のアレクサンドラ・ミア(1967~)は、ヴェネツィアの絵ハガキをいっぱい用意し、訪れた人に自由に持って帰ってもらうサービス精神あふれる作品だ。せっかくなので、私も5枚もらった。でも、よく見ると、サーフィンをしていたり、なんだか変だ。というのも、ヴェネツィアは3度目だが、海でサーフィンをしている姿は見たことがない。もっとも、私が歩き回るのは、サン・マルコ広場を中心に、文字通り歩いて行ける範囲に過ぎず、全体像は皆目分からない。だから、不思議にも思わないのだが・・・。ところが、この絵ハガキ、実はヴェネツィアとは縁もゆかりもない景色である。どれも水辺の景色なので、水とくれば水の都・ヴェネツィアを思うのは自然だろう。
アレクサンドラ・ミア作品
一つの部屋全体を、大量の、さまざまなオブジェや造形物で埋めつくしたのは、カメルーン生まれでベルギーを拠点に活動中のパスカル・マルティーヌ・タイユー(1967~)だ。高密度の、エネルギッシュな空間にまず圧倒される。このカオス的、エネルギーに満ちあふれる会場、そこに並ぶ多彩な作品群の一つひとつを丹念に見て回ったが、やや食傷気味でかえって印象も希薄だ。でも、ところどころに出自を思わせる異色な造形が顔をのぞかせ、また伝統とモダンとがコラボしたユニークな造形にも出会う。何より、過剰で、過密な空間に充満する不断のエネルギー、躍動に、勇気をもらった気分だ。
パスカル・マルティーヌ・タイユー作品
南アフリカ生まれでアムステルダムを拠点とするモシュクワ・ランガ(1975~)のインスタレーション作品も、床いっぱいに毛糸や玩具などさまざまな日用品が所狭しと並ぶ。だが、こちらは洗練され、野性味などとは程遠く、むしろ繊細で壊れやすいガラス細工のような脆弱さ、透明感に満ちている。卑近な素材、貧しい素材を用いて、物語性豊かな独自の「地図」をつくる手法は、ここでも一貫する。なるほど、無造作に置かれているようにも見えかねない毛糸だまやさまざまな日用品が、時にビルディングや家並み、もつれた糸が道路やハイウエイなどに見えたりする。自身の記憶や経験をたどりながら、まったく新しい、あるいは過去を再構成してゆくようにつくり上げる「地図」は、子供が遊んだ後の散乱する玩具の山にも見える。「地図」づくりは、純真で無心な営みでもあるのだろう。否、そうありたいと願う作家の気持ちに、少なくとも偽りはない。
モシュクワ・ランガ作品
香港生まれで、ニューヨークを拠点に活動中のポール・チャン(1973~)の映像作品には、なにわともあれ、笑った。大笑いしたとか言うのではなく、苦笑いというか、笑みがこぼれたというか、性的な場面が連続するこの作品について何かを考えるより前に、ともかく笑ってしまった。ちょうど、そばにいる人と目があった時も、お互いに笑みで挨拶をしたほどだ。チャンの映像インスタレーション作品には、政治的、哲学的思考が色濃く反映されている、とさまざまな資料には書かれている。暴力や欲望、あるいはトラウマなどが主題となっているそうだ。なるほど、(性的)拷問、あるいは虐げられている者の苦悩や悲哀、悲惨な出来事や思い出などいわば負の歴史を、笑いを誘うシーンが呼び起こしもする。
ポール・チャン作品
オランダのマデロン・ヴリーゼンドープ(1945~)は、やはり同国の有名な建築家、レム・コールハースの奥さんだ。第51回だったか、コールハースもビエンナーレには出品しているから、夫婦で参加ということになるのだろうか。ヴリーゼンドープの作品は、子供部屋みたいな部屋に、玩具やオブジェがたくさん置かれている。整然と置かれていることもあれば、ちょっとめちゃくちゃに見えることもある。滞在中、三度ばかり作品を見る機会があったが、その都度、玩具やオブジェの置かれている位置がことごとく違った。この作品は、観客が自由にそれらの位置を決めていいことになっている。三度目に作品を見たとき、ちょうど若い男性が位置を変えている場面に遭遇した。彼は、時には仲間が言うとおりに、時に自分の思うままに玩具の位置を変え、オブジェを動かした。アナログなインタラクティブ・アートと言えなくもない。完成した瞬間、見守る観客の間から期せずして大きな拍手が起こった。
アメリカのウィリアム・フォーサイス(1949~)は、現在はドイツを拠点に活躍する。世界で最も先端的なバレエ振付家として知られる。最近は、映像やインスタレーション作品など、幅広い活動でも知られている。バレエについては詳しくはないが、ダンサーの身体能力の極限を試すような複雑で難度の高い動き、振り付けで知られているらしい。出品作は、体操の吊り輪、あるいは電車の吊革のようなものが、天井からさまざまな高さにつるされて、観客はそれらの円い取っ手の部分に手を入れ、あるいは足を入れて、じたばたもがきながら進んでゆく、というものだ。私も挑戦したが、容易に進めるような代物ではない。バランスは取れないし、体重を支えるには吊革は頼りなく、ほとんど一歩も進めないまま挫折した。自身の身体と真正面から向き合うことは普段ないから、いい経験だったが、そんな絶望感を味わってもらおうというのが狙いだとすれば、意地悪な作品だ。薄暗い部屋の果てには出口が見え、光が、希望の光が差し込む。その光へ向けて、誰もが歩を進めようと試みる。落ちても落ちても挑戦する若い人がいるかと思えば、ちょっと足を入れただけで、すぐあきらめる人もいる(僕のように)。ファン・リジュンやジルヴィナス・ケンピナスの作品にも似て、示唆的、暗示的な仕掛けのようにも映る。
ウィリアム・フォーサイス作品
ジャルディーニの旧イタリア館が、企画展示のためのビエンナーレ館として生まれ変わったのが、今回の特色でもある。広い会場には、オノ・ヨーコをはじめ、ギルバート&ジョージ、ジョン・バルデッサリなどなつかしい(?)名前、大家が並ぶ。
オノ・ヨーコ(1933~)は、A4版程度の紙に、それぞれ短いメッセージを書いた、かつての作品を展示している。ギルバート・&ジョージ(ギルバート=1943~、ジョージ=1942~)は、1970年に発表した"生きた彫刻"の宣言文、ジョン・バルデッサリ(1931~)は、同じ部屋の壁や床をせっかく塗ったにもかかわらず、毎日違う色に塗り替える作品(映像)が並んだ。バルデッサリの作品は、黙々と塗り替え続けるバルデッサリ自身を、延々と見続けなければならないのだが、どうしたものか最後の一塗りを見ないと気が済まず、つい見続けてしまった。おかげで、かなり退屈した。バルデッサリと言えば、東京国立近代美術館で最近見た展覧会「ヴィデオを待ちながら」で、ただひたすら「芸術制作中」とつぶやき続ける作品や「もう二度と退屈な芸術は作りません」とノートにひたすら書き続けながら、実際はそうして(退屈な)芸術をしているという、いずれもビデオ草創期の作品を見たばかりで、その徹底して見事なコンセプチュアルぶりに改めて笑うと同時に、退屈させることでアートについて考えさせるなんて、隠すことでアートについて考えさせたクリストにも似た逆説的手法だなあなどと退屈した頭で呆然と考え続けた。
ところで、オノ・ヨーコとジョン・バルデッサリは今回、これまでの業績が評価され、金獅子賞(生涯部門)を受賞した。ついでに触れると、パビリオンの金獅子賞は、ブルース・ナウマン(1941~)のアメリカ館、個人の金獅子賞はドイツのトビアス・レーバーガー(1966~)に授与された。レーバーガーの作品は、ビエンナーレ館内に設けられたカフェのデザインだ。奇抜なデザインは、カフェを異空間に変貌させてはいたが、個人的にはゆっくりお茶を飲む雰囲気ではなかった。ジャルディーニの国別パビリオンについてはすでに触れたが、アメリカ館については触れていなかった。2年に一度のこのビエンナーレの意義は、さまざまだろう。観光が主産業のヴェネツィアでは、少しでも集客が見こめるイベント、企画を常時開催し続けることが肝要でもあるだろう。だが、たとえば新たなアートが芽生え、無謀とも思える冒険が果敢に挑まれ、あるいは変化に富んだ作品がさく裂し、野心にあふれる新鋭に出会うのがこの場であるとすれば、またそうあり続けたいと願うなら、現状を追認するみたいなことが、プラスにならないであろうことはまぎれもない。まして新作でなく、旧作であればなおさら追認の印象は免れまい。1895年のスタート以来、紆余曲折はあったにせよ、この場が世界の注目を集め、世界中から人が押し寄せ続けるのは、まさに新たなアートが芽生え、無謀とも思える冒険が果敢に挑まれ、あるいは変化に富んだ作品がさく裂し、野心にあふれる新鋭に出会えるから、また出会えたからにほかならない。
ビエンナーレ館には、日本の具体を紹介する会場も設けられた。言うまでもなく、吉原治良(1905~1972)を中心に1950年台半ばから吉原が亡くなる1972年まで、兵庫県芦屋市を拠点に、「人のまねをするな」を旗印に活動した前衛美術のグループである。吉原をはじめ、村上三郎(1925~1996)、白髪一雄(1924~2008)、田中敦子(1932~2005)、金山明(1924~2005)、元永定正(1922~)らメンバーの傑作多数が紹介されていた。ミシェル・タピエが日本におけるアンフォルメルの一例として海外で紹介して以後、世界的にもすでに知られる動向だが、今回のような機会にいっそう浸透してゆくのは、同じ日本人として勇気づけられ、また誇りにも思う。さまざまな企画、あるいは関連展のなかで、こうした掘り起こしや意外な展示に出会えるのは大歓迎だ。会場には、具体が開いた展覧会の様子などの活動を記録した映像も流されていたが、僕もしばらく見入った。かつて白髪さんのアトリエを訪ねたとき、天井からつるされたロープをまじかに見た際の喜び、感動を、遠くヴェネツィアで思い返した。
具体を紹介する展示風景
シェリー・レヴィーン(1947~)も、ビエンナーレ館に登場した。1970年代後半、ブランクーシやデュシャンなど高名な作家の作品を引用し、アートにおけるオリジナリティや真正などに果敢に挑んだ作家だ。イヴ・クライン以後と称して、1991年制作のモノクローム(単色)絵画が並ぶ。ヴォルフガンク・ティルマンス(1968~)の写真作品は、比較的広い会場を割り当てられ、ゆったりと展示されていた。人気のほどがうかがえる、と言えるだろうか。フィクションとノンフィクションのはざまを行き来するみたいな、ありそうでない、分かったような分からないような、隔靴掻痒な作品(もちろん、私的な印象)を、個人的には好きになれない。
が、僕が勤務する大学の写真学科の学生には、大変な人気だ。たとえば、男性でもない、女性でもない、中性的な視点で撮られた点、言い換えれば特異な視線こそ魅力なのだそうだ。
個人の部門でレーバーガーに次ぐ銀獅子賞を受賞したのは、スェーデン生まれで現在はドイツを拠点に活動中のナタリー・ジュルベルグ(1978~)だ。粘土で作った人形が演じるアニメーション作品である。暗い展示場内には、やはり粘土で作られた花など異様な植物が咲き乱れ、2つ置かれたスクリーンでは肝心のアニメが上映されている。エロティックでミステリアスな雰囲気たっぷりで、眺めていると面白い。稚拙な感じも手作り感にあふれ、ハイテク時代にノスタルジーを呼び起こし、記憶にも、印象にも残る。ただ、周りがハイテクだからと言って、そのおかげで特異な存在へと祭り上げられても、当の作家は戸惑うばかりかもしれないが・・・。ドイツ生まれのハンス=ピーター・フェルドマン(1941~)の作品も、ぐるぐる回転する人形などのオブジェに光が当てられ、背後の壁に映し出された影が、同じようにぐるぐる回り続けるという、ややアナクロ的で、シンプルな作品だが、およそ半世紀生きてもはやアナクロ的になりつつある僕には、親近感のわく作品であることは間違いない。
ナタリー・ジュルベルグ作品
ジルヴィナス・ケンピナスやパスカル・マルティーヌ・タイユー、モシュクワ・ランガなど、20世紀のアートを牽引した欧米の国々出身ではない作家たちに顕著な異質性、あるいはやなぎみわなど周縁とも言える国々からの出品作にみなぎる魅力、エネルギーは、「特徴のないのが特徴」(南條史生「毎日新聞」)とも言われる今回のビエンナーレを力強く引っ張る、華麗に彩る原動力となった。ブルース・ナウマンのアメリカ館が金獅子賞を受賞するなど現状追認の印象を吹き飛ばす勢いと言ってもいいかもしれない。温暖化など地球規模での環境への関心、100年に一度とも言われる未曽有の経済危機などを背景に、不安や死、希望や生が交錯するビエンナーレは、多文化がますます張り合い、寄り添う世界の現状を色濃く映している。ピストレットの鏡面にも似て、ビエンナーレはまさに、千差万別の世界を映す鏡になりきろうとしているのだろうか。
*第53回ベネツィア・ビエンナーレは、11月22日まで。
*作品撮影はすべて石川健次