〈間島秀徳展〉
二つの芸術作品の出逢い、そして転生へ
文●松崎未来(会社員)
二つの芸術作品の出逢い、そして転生へ
文●松崎未来(会社員)
地下1階でエレベーターのドアが開くと、目の前に間島秀徳の《kinesis No.316》が佇んでいた。地下1階と中地下の客席を選択出来たが、迷わず地下1階を選んだのは、作品とダンサーと同じ地平に立ちたいと思わせる何かがあったからだ。この作品に相見えるのは実に三度目であるが、今、自分の眼がとらえている像と記憶の中の像が完全に重なり合わないのは、この作品の構造----柱状に並び立つ高さ八尺余りの巨大な六面パネル----に因るものだろうか。常に何処かの面を死角にするこの作品を観るために、人は作品の周囲を廻り、中に入らねばならない。視点は絶えず変動し、作品の表面に残された流水の痕跡は、揺れる光の下で様々に表情を変える。自らの一歩一歩が作品との新たな接点を生み、記憶の像との一致を否定していく。
展示風景 撮影:宮田絢子
やがて場内に聞こえていた潮騒が止み、会場は真っ暗になる。そして足下のライトから黄味を帯びた光が作品の中心に向かって投げられた。光に照らし出された人体が、どのような姿勢でそこに在るのか、とっさには分からなかった。この場に日常の知覚が通用しないことを瞬時に思い知らされる。激しいロックミュージックと共に光は広がり、ようやく彼女が立位体前屈の姿勢でそこに居たことが知れた。徐々に彼女は上体を起こし、伸ばした両腕をもたげていく――ゆっくりと微かな筋肉の痙攣を伴って。音楽が止み訪れた静寂の中、場内の意識が一点に集中する。蒼い柱の中心で、両手を挙げた彼女は真っ直ぐ立ち上がった。澤田有紀の「冬の山+」の始まりだ。
彼女は束の間の静寂を、自らの足裏を打ち付ける音で破ると、今度は右脚を基軸にして、左の足裏を初めはじりじりと、やがて床に軽く打ち付けながら回転し始めた。闇の中に足場を探すかのように、周囲の土を踏み固めて行くかのように。両手を肩の高さまで左右に下ろし上体の平衡を保ちつつ回る彼女は、まるでコンパスの様だった。そのコンパスは弧を描きながら、六面のパネルが形作る底面の多角形との同心を探っているようにも見えた。隣人の唾を飲み込む音すら聞こえる静けさの中に、タン、タンと彼女の左足の音が響いた。
何度回転したか、悲愴なヴァイオリンの音色が流れ出し、彼女はパネルの垂直面を這うように、今度は体を捩りながら、《kinesis》の中を巡り出した。彼女の四肢の動きは、足下2箇所のライトに照らされ、蒼い壁面に投影された。彼女がパネルの内側の死角に入っても、向かいの蒼い壁に映る影、更にはパネルを繋ぐ蝶番の隙間から漏れる一筋の光の中を泳ぐ影で、その動きは察せられた。私の正面のパネルが朱に染まり、彼女の頭部の影が大きく揺らいで映し出された時、《kinesis》の巨大な造形物としての重厚感が消え、その表面を流れる水の現象だけがふっと浮かび上がって、夕暮の滝壺の錯覚を生んだ。踊り手の眼には見えているのだろうか、自らの肢体が投げる影の動きが。音楽はいつの間にか、勇壮な行進曲へと変わっていた。
パネルの内側を半周した辺りで、彼女は頭と両手をだらりと垂れ、前屈姿勢になってパネル内部を彷徨い出した。そうして、ふと思い出したように上体を起こすと、直立姿勢のまま、垂直に跳び上がりながら移動し始めた。或る神経を断ち切られた動物のように、身体の不自由を訴える言葉も持たず、潤んだ瞳は遠い地平を見つめ、ひたすら前へと進む。その身体は《kinesis》の柱の外へと飛び出し、パネルの裏側へと消えていった。私は暫くの間、蒼い壁面を見つめながら、フロアリングの床を擦る彼女の裸足の音を聴き、気配を辿った。やがて私の視界に再び姿を現した彼女は、先ほどの前屈姿勢に戻ったかと思うと、また身を起こして垂直跳びを続けた。
柱の内外を往き来した後、柱の中心に戻ると、突然、彼女の身体は目に見えない何かに四肢を引っ張り弄ばれているかの如く、暴れ出した。右へ左へと彼女の身体は振り回され、よろめき、遂には《kinesis》の中央に倒れた。そして彼女は、生まれたての獣のように、幾度も身体を起こそうと身を捩らせた。筋肉の緊張や横隔膜の隆起が、空気を伝い、作品の外側に居る私たちにまで届く。重力に従順な水流の壁の中で、苦悶の表情を浮かべるでもなく、ただ本能の赴くまま、重力に抗い繰り返し立ち上がろうとする肢体。それまで即かず離れず、各々自立していた作品とダンサーは、互いに歩み寄るでもなく、或る瞬間に同一の垂直軸を有したように見えた。予定調和という一語を持ち出すのも憚られる、そこには確かにその瞬間まで約束され得なかった両者の交感が在った。
最後に、彼女は両手を広げて勢いよく回転した。自転の遠心力によろめく程、《kinesis》の内に飛沫が上がるかと見紛う程に。緊迫感のあるヴァイオリンの調べが聞こえ出し、徐々に音量を上げていく。彼女は回転し続けた。そして、焦燥感を煽るその音が、ふっと途切れ、と同時に虚空を掴んだダンサーの腕が闇に包まれた。暗闇と静寂......。網膜に残る残像に眼を凝らしながら、会場が明るくなるまで、私は、作品とダンサーとが共有した時空間の希有を噛み締めていた。作品とダンサーと、同じ地平に私は立っていた。
澤田有紀パフォーマンス風景 撮影:飯村昭彦
澤田有紀パフォーマンス風景 撮影:飯村昭彦
澤田有紀パフォーマンス風景 撮影:飯村昭彦
公演後、「次に生まれ変わる時は美術家になります」と晴れやかな笑顔を見せたダンサーに対し、画家は「踊りたい」と言った。《kinesis》と「冬の山」と、既存した二つの芸術作品は、ここに出逢い、互いに新たな作品として転生した。恐らく永遠に完成型を見ないであろう両者。その出逢いに立ち会えた歓びに、また次に遭遇する楽しみまでを与えてくれたこの日の企画に、心からの感謝を述べたい。
*間島秀徳展(新生堂/2009年3月25日~4月5日/3月29日パフォーマンス「冬の山+」出演:澤田有紀)