〈VOCA展2009〉
キャンバスに表れては消えていく絵画
文●松浦良介(Webてんぴょう編集長)
キャンバスに表れては消えていく絵画
文●松浦良介(Webてんぴょう編集長)
3月15日~30日東京・上野の森美術館で、〈VOCA展2009〉が開催された。38名の推薦委員が推薦した35作家が作品を発表し、高階修爾(大原美術館館長)、酒井忠康(世田谷美術館館長)、建畠晢(国立国際美術館館長)、本江邦夫(多摩美術大学教授・府中市美術館館長)、逢坂恵理子、南嶌宏(女子美術大学教授)の選考委員が賞の選考をした。
その結果VOCA賞には三瀬夏之介、VOCA奨励賞には樫木知子、竹村京、佳作賞に今津景、櫻井りえこの各氏が選ばれた。大原美術館賞には淺井裕介、府中市美術館賞には高木こずえの両氏が選ばれた。なお、美術館賞はその館の学芸員が選考をしている。
■「映像的」かつ「日本画」の要素
大雑把にとらえれば、現在の絵画のキーワードは「映像的」と「日本画」であろう。前者は国際展に発する映像作品の流行が、絵画にも定着してきたことを表している。後者は、今までは堅牢な制度としての日本画、伝統や歴史が支える重厚なその存在感に、常に時流に流されねばならない現代美術が擦り寄るようなものであったが、最近は単純に日本画材の魅力に惹かれているようである。
今回VOCA賞を受賞した三瀬夏之介《J》は、そのキーワード両方を兼ね備えた作品だ。
一見すると、イメージの洪水のような混沌とした作品。絵解きが好きな人には、堪らないかもしれない。しかし、しばらく見続けていると混沌としたイメージは薄れ、むしろどこか断片的な多岐なイメージが上手にアレンジされた整然とした作品に見えてくる。これは、和紙に墨、染料、アクリルで描かれているといったことが関係しているのではないかと思った。
もしこの作品が、キャンバスに油絵具であったなら、とにかく画材の主張が突出した迫力のみであっただろう。しかし、その主張の薄いもので描かれることによって、溢れるイメージ群は混沌の寸前でそれぞれの領分を保ちながら作品内に存在しているのである。
さらにそのことによって、この作品がひとつの大作というよりも、バランス感覚豊かなコラージュ作品であることも思わせる。イメージの断片を上手に操るその力量は、まさに優れた映像的感覚と言えるだろう。なのでこの作品に、墨を使用した作品に対して必ずといっていいほど使われてきた、墨の魅力やそれにまつわる言葉は似合わないのである。
VOCA賞奨励賞受賞の樫木知子《屋上公園》《ふくろのウサギ》は、すでに絵画は映像のワンシーンに過ぎず、支持体はスクリーンなのだと思わせるほど現代の絵画の特徴が終結しており、完成度が高い。
作品は、パネルに綿布、そこにアクリルや鉛筆、パステルで描かれる。しかしここから独特の技法が、この作品を一気に変えていく。それは絵具を塗ってから電動ヤスリで磨いていくものである。《ふくろのウサギ》においては、パネルの木目が表れるほどである。どこまでも薄くされた作品は当然危うさや、儚さがただようのであるが、そこに日本画にでてくるような細い線で描かれた人物が存在感を発揮する。人物も、人間というよりも細い線の集積のような淡い存在なのであるが、前述した独特の技法によって生み出された作品全体の薄さの中では、どこか強固なものに見えてくる。全体的には消えていきそうでありながらも、消えていかない人物が強烈に印象に残る。
三瀬夏之介 「J」 VOCA賞受賞
樫木知子 「屋上公園」 VOCA奨励賞受賞
樫木知子 「ふくろのウサギ」 VOCA奨励賞受賞
■掘り下げることで生まれる可能性
受賞作の多くは現代の要素が盛り込まれたものが多かった一方、目新しさはないものの、丹念に従来の技法を掘り下げるような作品でも見るべきものがあった。
橋本トモコ《クローズド・ミーティング》は、色の中から花や葉が生まれたような鮮やかでかつ落ち着きのある作品だ。下地を丹念に作り、その上に何度も色を重ねていく古典技法を素直に追求することで出来上がったいい例かもしれない。落ち着きが、退屈さに変化しないのである。
渡邉慶子《薫風》(他2作品)は、技法を駆使する版画が陥りやすい技法ための作品をくぐり抜けたものだ。推薦者の吉崎元章(札幌芸術の森美術館館長)氏の「彼女は北海道で育まれた感性を泥臭さを排除し品よく表現することができる稀な存在」という言葉も頷ける作品だ。
両者の作品は、自分が選んだ技法への確信と自信が新たな絵画を生み出す可能性を示したといえるだろう。
橋本トモコ 「クローズド・ミーティング」(2点の内の1点)
渡邉慶子 「薫風」
ところで、ここ数年目新しいコンクールが出現していない。そんな中、VOCAは今回で16回目だ。まさに孤軍奮闘状態なのだが、新人の評価、現代の絵画の動向、流行にとらわれない選考などなど今後余りにも多くの要求を背負わねばならないのかもしれない。