2008年の小島びじゅつ室
石川元展、粟国久直展
文●宮田徹也(日本近代美術史)
石川元展、粟国久直展
文●宮田徹也(日本近代美術史)
■「室」という言葉が相応しい空間
小島びじゅつ室(http://www.kojimart.net/room/)は、雪谷大塚の閑静な住宅街に位置する。このびじゅつ室の大きな特徴は、最小限の作品を最小限の人数で触れ合うことにある。時間をかけて作品と対話するのだ。この鑑賞方法は、大きな美術館を歩いて回ることやショー・ルームのような画廊で腰を落ち着けて品選びをするスタイルよりも、コレクターが自宅で作品を楽しむ姿に似る。展示空間と充実しているため、美術館でも画廊でも家屋でもない、「室」という言葉が相応しい空間なのである。
主の小島靜二は、歯科医院を営む。画商というよりもコレクターに近い。しかし、単なる「収集家」ではない。展示は玄関脇の一室と、履物を脱いで入室する二階とになされる。二階はメインの展示室と和室に分かれている。その綿密なしつらえや、展示方法と照明に細心の注意を払うことにより、小島はあらゆる視座を訪問者に委ねている。小窓からの柔らかな採光が計らわれた和室では、座っても畳の上に寝転んだりしてもいい。小品を中心とした一階の展示室では客に茶を振る舞い、会話を楽しむことを主としている。これは作品の商談や自我の表出の行為ではなく、全ては作品の深い理解のために行われている。つまり小島は研究者に近い立場にいる。これまでの自己の回顧と、吉仲太造の研究を記した出版物『闇雲』(株式会社ポイントライン/2008年)もある。そのため小島氏を敬遠する者も多い。「金持ちの道楽だ」「素人に何が分かる」「プロに口を出すな」......。作品に対する純粋な愛情を理解することができない日本の現状を、そのまま表す言葉である。このような状況を打破しない限り、日本の美術界の未来はない。
■戦略的具象絵画を打破する石川元
小島びじゅつ室は年間に春と秋の二回、土日に展覧会を催す。夏に特別展示をする年もある。これまでの展示を以下に記す。
2002年2月〈行方・森から〉鈴木省三、3月〈行方・空へと〉鈴木省三、4月〈行方・行方〉鈴木省三 、11月〈科学少年の青色〉小林健二。
2003年3月〈古利根〉加藤泰、10月〈みづいろ・やはいろ・てごはいろ〉山本まり子、12月〈神の窓〉マコト・フジムラ。
2004年4月〈一つの序曲〉鈴木省三、9月〈森へ〉坂本太郎、11月〈気配〉 福井江太郎。
2005年4月〈空爆〉 粟国久直、10月〈黙示〉澤田志功。
2006年4月〈白い刻〉加藤泰、11月〈滝橋 〉鈴木省三。
2007年4月〈望洋〉坂井淳二、7月〈加藤泉という作品 初期作品展〉加藤泉、11月〈むきあうこと〉山本まり子。
2008年の特別展示はなく、通常の二度の展示が行われた。その模様を報告する。先ずは 3月〈今生きている過去〉石川元(8~29日)である。
この展覧会で、私は主に三つの点で驚愕した。先ず、石川は意図していないにも拘らずその油彩による作品群が、日本近現代美術の洋画の流れを担っていることだ。《部屋》(608×608mm/2004年)においては、特に人体の容が、戦前に梅原龍三郎が朝鮮を描いた絵画にも、戦後直ぐに山口薫が顔料の試行錯誤を繰り返した作品にも見える。《黒い海》(901×901mm/2004年)は、今井俊満を思い起こさせながらもその慎重な流れがアンフォルメルと区別される。《群青》(728×606mm/2004年)に描かれる人体は、著名な福沢一郎、鶴岡政男のそれよりも剥き出しな皮膚を描き切っている。このような「剥き出し」の感触は、現代の具象絵画が戦略的に持つ手法でもある。しかし「戦略」であるが故に、見る者を不愉快にしない。石川の絵画に触れるとその「剥き出し」の度合いを強く感じてしまうため、不快で会場に居られなくなるのだ。これが驚愕した二つ目の点である。不快であるにも拘らず、眼を背けることが出来ない。それには二つの理由がある。石川の視線は自己にも他者にも向けられておらず、作品が作品として成立するためにしか持ち合わせていない。即ち自己と他者の区別が明確につけられ、加えて自己と作品を冷然と線引きしているのだ。青く燃え盛る炎の中で、崩壊することなく毅然とした内面を持ち、気取り無い表情で立ち尽くす女性を描いた《肖像》(364×258mm/2004年)の構図は、色の配置を僅かに動かすことが不可能なまでに緊張感に満ち溢れている。このような絵画は、空想的、自己満足的、戦略的要素を排除するからこそ成り立つのである。つまり「剥き出し」に見えるのは、描く側の提案ではなく見る者の問題なのだ。「剥き出し」の自己とどのように向き合うべきか。石川の作品は、そのようなことを教えてくれる。確かに、長く伸びた手に愛苦しい小鳥が留まり、背景の赤よりも緑葉の緑が血液の迸りに感じる《立ち木》(652×910mm/2005年)を見ると、アウトサイダー・アートを感じるかも知れない。パンフレットに記されている「『生きていても死んでも同じなんじゃないか』と思うとき、既に もう 手遅れなのだ 黒い血が 浸水してきている」という石川の発言を読むと、バタイユ的エロスと暴力を感じるかもしれない。しかしそれは、やはり上記の二つの理由により回避されるのだ。あらゆる画面が複数の層で形成されていることにも、それは言えるだろう。どの絵画も長く眺めていると、複数のビジョンが立ち現れては消える。その全く異なる風景が統合されて一つの画面に共有して存在する点に、石川の冷徹なまでの絵画を成立させる思いが込められているのではないだろうか。最後の驚愕は、石川が2006年に武蔵野美術大学油絵科の学部を卒業したという点にある。学部卒のみ、24歳。今回の展覧会は、石川が自ら出向いて小島に作品を見せたことで始まった。マコト・フジムラ、加藤泉、福井江太郎という、現在高く評価されているアーティストの、活動の初期からその本質を見抜く小島が、全く無名である石川の個展を開催したことにどれだけの意味を見出すべきであろうか。膠着状態にある戦略的具象絵画を打破するのは欧米の「偉大な」アーティストではなく、石川なのかも知れない。
■communicationの不在を解消すること今後の課題――粟国久直
11月〈Trinity 三位一体展〉の粟国久直(15日~12月7日)は、同時開催が二つあった。一つは東京国立近代美術館〈沖縄・プリズム 1872-2008〉展(10月31日~12月21日)であり、2005年小島びじゅつ室〈空爆〉展にて発表の《Cube-GIFT》が展示された。もう一つはギャラリー四門〈Babel 粟国久直展〉(12月6日~12月23日)である。石川が全く無名の新人に対して、粟国が既に評価されている点にも注目したい。〈Trinity〉の作品群は、全て2008年に制作された。メイン作品、《Cube-Trinity》(鉄・ガラス・アルミニウム)は、《Cube-GIFT》と同様に写真をガラスに焼き付け、アルミニウムの格子によって立方の体を成している。《Cube-GIFT》と大きく異なるのは、立方体の前面床にラテン語の聖書とアラビア語のコーランが引用された板があること、《Cube-Trinity》の正面に《Apoptosis》(15×15×3,5cm/油彩・キャンバス)が展示されていること、即ち、三つの作品で一つの部屋をインスタレーションした点にある。これを「Trinity」、カトリックでいう「父と子と聖霊」と読み解くことも出来るが、粟国の意図は、会場で配布されているパンフレットに記されている通り、1945年7月16日にアメリカで行なわれた人類初の核実験のことである。《Cube-GIFT》では日本各地を襲った空爆の航空写真が用いられたが、今回はこれに加えて人体の根源である染色体を巨大化した写真が組み込まれている。プログラムされた細胞の死を意味する《Apoptosis》は燃え盛る炎のような抽象画である。和室には《Trinity-Pluto》(30×30×30cm/鉄・ガラス・アルミニウム)というプルトニウムの写真をガラスに焼き付けた立方体と、《Pluto》(14φ×10cm/鉛)という、まるで生々しいプルトニウムの塊のような球体が鎮座している。即ち、二階全てがコンセプチュアルにまとめられている。粟国がパンフレットに書いた展示の主旨の一部を引用する。
「......兵器としての核物質を否定しつつも社会的な手段としてのプルトニウムと呼ばれる微小ながらも莫大なエネルギーの存在に依存し、恐怖として位置づけている。皮肉にも私達人類は「神」を作り上げ恐れ戦き、営みへの救いを求めている気がする。......人類が手に入れた生命への知識は実用化するか否か、それぞれの背景で議論され続けている。......染色体に関わる知識は科学の知識ではなく、私たちの本質を問う事でもある。......生命の領域でもなお「神」への恐れを抜きに議論される事は無い。此処では「神」では無く私たちの信仰へ視線は向けられている。......『神のみぞ知る』との言葉の前に私たちはその背景にある信仰という意味を考えてみる必要がある」
人類が発見してしまったプルトニウムを死に向かう細胞と連結させ、更に染色体の領域にまで追い込み、現在の人類の動向に対して警告を発していると解釈することができるであろう。それは粟国が「湖の底を想像して欲しい」と願って置いた板に刻まれた二つの経典の対立が世界の戦争の根源を意味し、自己の逃れられない状況を示すために注連縄を素材として使用していることにも納得がいく。現在、単純に「戦争」を主題とした作品を制作する作家は本当に数が少ない。このような現状を打ち破る機運として、今回の展示は充分に評価することができる。芸術は常に現状に対してその根源を暴き、そこに生まれた問題に挑戦し、それから次の課題を抽出することが本質であるからだ。この点を考慮に入れてもう一度今回の粟国の展示に目を向けると、「プルトニウム」「自滅する細胞」「染色体」といったモチーフが安易で直接過ぎる。芸術に眼を向ける者達へ「装置」としての役割を果たしているが、戦争と人間、神以上のものを想起させる、想像力=創造力を携える「作品」としての力が弱い。それは「キリスト」「イスラム」「日本」といった、粟国のいう「信仰」に対しても言えるであろう。「信仰」の根源を成す共同体への考察と視点が欠けている。つまりはここには多角的なcommunicationが存在しないのだ。そのため、キューブの意味が〈沖縄・プリズム〉のカタログでは以下のように認識されてしまっている。
「......壁に据えつけられた鉄の骨組みにガラスを嵌め込んだ三角柱が、離れた光源からの光を当てることで壁に投影され、はじめて実体と影像をあわせた『立方体』が現出する。光が無ければ存在しない『Cube』。......それを遥かな高みから見つめる超越者の視点が設けられているが、それは『Cube』を成立させる光源のことでもあるだろう。......意味を拒絶するこの『Cube』の空虚に何を見出すのかは、個々人の想像力に委ねられている」(鈴木勝雄「乱反射する沖縄」)
これは《Cube-GIFT》に対する言及であるが、今回の《Cube-Trinity》にも、ギャラリー四門で展示された《Cube-Babel》(230×180×1750cm/ガラス・アルミニウム/2008年)にも当て嵌まるであろう。粟国の「Cube」の特徴は、「光」による「実体と影像」ではなく、その立体感でも平面感でもないイメージの創出であると私は見る。それでなければ、粟国は光によるスライドでも16mmフィルムでもデジタル映像でも構わない筈だ。今回の一階展示室にも多々あった油彩とガラスを別々の作品として組み合わせた方法論は、「光」を意識させながらも実は必要としない、西洋的見解に支配されている美術界を含めた世界の認識―それは太陽暦という時間軸、メートル法という空間軸をも含んでいるのだろう―に対する一つの挑戦を抱いているのではないだろうか。そこには日本的な「陰影」というものも必要としない。そのため、粟国の作品を「絵画」に還元しようとする議論は意味を成さないことになる。このような誤解を解くためには、「意味を拒絶する」と見られてしまうcommunicationの不在を解消することが、粟国の今後の課題となるのではないだろうか。粟国が苦しみに苦しみ抜いた末に導いた作品であるからこそ、あえて苦言を呈した。
《Pluto》
石川元と粟国久直、年齢も実績も手法も異なる二人だが、現在の動向に対して先鋭的に戦いを挑んでいる姿は共通する。小島びじゅつ室では、このような強度な作品群と真摯に向き合うことが、常に可能になっているのだ。
*写真提供:小島びじゅつ室