〈VOCA2008〉展
映像的表現の深化と描くことへの執着
文●松浦良介 Ryosuke Matsuura 「てんぴょう」編集長
映像的表現の深化と描くことへの執着
文●松浦良介 Ryosuke Matsuura 「てんぴょう」編集長
■〈VOCA2008〉 2008年3月14日-30日 東京・上野の森美術館
■第1回投票で33名が賞候補に
37名の推薦委員から推薦された36名の作家が出品した〈VOCA2008〉が、3月14日-30日東京・上野の森美術館で開催された。今回、賞の選考委員となったのは、同展実行委員から高階秀爾、酒井忠康、本江邦夫の三氏。それに逢坂恵理子(森美術館アーティスティック・ディレクター)、南嶌宏(女子美術大学教授、熊本市現代美術館館長)の二氏が加わった五氏。
今回、「賞候補として議論に値すると思われる作家を選ぶ第1回投票を行ったが、その結果、36名中33名がノミネートされることになった。(中略)このような結果はこれまでの選考においてはかつてなかったこと」(高階秀爾“選評”)とかなりのレベルの高さだった模様。その後第4回まで投票を行ったそうだが、過半数を得た候補は出ない中、結果10名が残った。その中でVOCA賞を選ぶ投票を行い、4票を得た横内賢太郎『Book - CHRI IMOCE』『Book - CHRI FFTC』が受賞した。
出品作品全体の内容は絵画、写真、映像と例年通り。しかし、「受賞者の傾向でもあった抽象表現に加え、心象的具象表現の台頭と浸透とを実感させるもの(中略)言い換えれば、物語性の復活という言い方もできるだろうが、しかし、物語の先は、私的で曖昧模糊としたものだ」(逢坂恵理子“選評”)と、その不透明さを指摘する声もあった。
美術に限らず表現というものは私的なものが出発点であるが、それが公的な存在である作品に昇華され、見知らぬ第三者に何かしらの共感、感動、衝撃を感じる、与えることで成立する。逢坂氏の指摘のように、私的なままに留まっている物語は、長らく議論となっている現代美術のテーマの喪失とも関係しているだろう。
■映像的表現の発展
今回受賞作の中で、横内賢太郎作品と、大原美術館賞受賞の岩熊力也『reverb(祈る手殺める手、兎、野犬、鳥)』『reverb(群れ、女)』は、一見酷似している。どちらもサテン布(横内)、ポリエステル(岩熊)という弱々しい支持体に、絵具や染料で描かれている。ただし描かれている、といっても染みを多用したものだ。
岩熊力也 「reverb(群れ、女)」 「reverb (祈る手殺める手、兎、野犬、鳥)」
横内の作品は、オークション・カタログに掲載されていたタペストリーの図柄だそうだ。一つは神話の物語で、もう一つは東洋風の仏塔。これらがてらてら光るサテン生地、そして染料の染みの効果で、常にゆらゆらと見える。しかし、その視覚的効果によって生まれたイメージよりも、「神話の物語ならそれを生み出した歴史的、文化的背景というものがあるし、仏塔ならそこに、長い歴史の積み重ねのなかに形成された宗教的意味づけを、たとえ漠然とではあるにせよ感じないわけにいかない。それと同時に、作品はオークション・カタログのなかにイメージとして提示されることによって、(中略)一元化された経済的価値の体系のなかに商品としていちづけられる。(中略)さまざまな手段によってイメージをその歴史的、社会的文脈から切り離し、いわば何の支えもない無重力状態のなかに浮遊させる。(中略)その意味で、これはきわめて批評意識の強い作品である」(高階秀爾“選評”)と、その効果が生み出す批評性に注目が集まった。
横内賢太郎 「Book-CHRIIMOCE」 「Book-CHRIFFTC」
映像表現が絵画にも浸透してから、イメージをゆらがせる、もしくは不安定にさせる表現はかなり増えたが、横内の場合は、ゆらぐようにイメージを定着させるというさらに進んだ表現といえよう。
一方岩熊の方は、「それは見る者に解読を誘い掛けるものとしてではなく、むしろイメージの出現と溶解の相克ともいうべき壮麗な現象そのものとして揺れ動いているのである」(建畠晢“再考・映像の時代の絵画”)と、そのイメージの不安定さに注目が集まった。
さまざまなイメージが消えては現れるような岩熊の作品は、単にそれだけをもって映像的絵画として言い切れないところがある。それは、「20世紀の抽象表現主義の遺産を受け継いでそれを充分に消化し、洗練させながら、古来の東洋山水画の持つ奥深い自然感情を現代に甦らせた」(高階秀爾“選評”)という指摘があるように、彼が度々作品の中心として描く山の存在が不気味かつ、魅力的なのである。その山は、唯一彼の作品に、まさに描かれているもので、ポリエステルの向こうには消えていかないのだ。
■描くことへの執着
映像的な表現が発展、深化を見せる中、絵画の基本行為である“描く”ということへの執着を感じさせる作品もあった。
一つは藤原由葵『まっさかさま』『どんでんがえし』。推薦した山下裕二(明治学院大学教授)氏は「かなり誇大妄想的で過剰な想念を、嫌というほど煮詰めてきた。凄まじい修練の成果を結晶させている、稀有な画家だと思う」と述べている。その言葉通り、隙なくびっちり描き込まれた作品は、絵画という表現を選んだ人間全てが持っている“描きたい”という初期衝動が激しく感じられるものであった。
藤原由葵 「まっさかさま」 「どんでんがえし」
もう一つは、俵萌子『無題』。推薦した尾崎信一郎(鳥取県立博物館美術振興課長)氏は「アクション・ペインティングと呼ぶには端正にすぎ、物質的と呼ぶにはあまりにも蠱惑的な深みをたたえた画面は物語と安易に戯れることなく、それ自体で完結した印象を与える」と、その作品自体の存在の強さを述べている。
俵萌子 「無題」 「無題」
以前のVOCAでは、抽象表現主義に始まる抽象表現の流れを汲むこのような作品が多く、欧米の美術史を柔軟に取り込み翻訳し、独自の解釈に育ててきた絵画の歴史を思わせるものであった。しかし、ここ数回においては流行の反映からは免れられていない。
流行を過敏に意識する美術家が多数いる一方、それとは無関係に制作し、表現を深めるものもいる。そのことをしっかりと証明するものであった。大規模なコンクール展は、その証明の場となることも大事な役割である。