ワンダフルスマイルのために 第6回(最終回)
僕が残したもの
文●ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
僕が残したもの
文●ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
ワンダフルスマイルのために: 第1回/第2回/第3回/第4回/第5回/第6回
●ジレンマ
さて、この連載もいよいよ今回で最終回(とはいっても連載が終わるだけで、僕の活動はまだまだ続きますけどね)。いろいろ僕の考えている事やこれまでやってきたことを勝手気ままに書き連ねてきました。最後もやっぱり気ままに書きたいと思います。
これまでに僕が出会った子どもたちは、ざっと見積もっても4万人を超えています。しかし、そのほとんどの子どもたちとは一期一会の関係。なので、果たしてその中の何人が、アートに興味をもったり、アート好きな人間になっているのかは正直わかりません。僕が実施してきたワークショップやプロジェクトは、関わった子どもたちに何を残したのでしょう? 俗にいう「成果」というやつ。その都度、参加してくれた子どもたちの現場での反応からはいろいろ伺い知る事はできます。今日は「楽しんでくれたようだ」とか「こんなふうに作品をみてくれたんだ」などなど。
でも、毎回同じ子と出会えるわけではないので、子どもたちの変化を定期的に追えないのは、僕の中でいつもかかえている“ジレンマ”です。学校の先生ならば、年間を通じて同じ子どもたちの変化を見る事ができます。僕の知っているある小学校の図工の先生は、授業の一環で、美術館や画廊に生徒たちを引率し、鑑賞やアーティストによるワークショップなどを体験させています。そのため、小学1年生から卒業するまでの6年間を通じ、同じ子どもたちのアートに対する変化を肌で感じることが出来るそうです。実際に、その子どもたちは美術館や画廊に行く事ことになんら抵抗は無く、そういうもの、そういう場所という認識が生まれているのだとか。こうした例は、まれなパターンだと思います。
ワークショップの成果というのは、主に子どもを対象にした場合、彼らはすぐには大きくならないので、どのような影響を与えたのか、瞬時にはかることができません。とても気の長い活動だと思います。その子の成長とともに実証していくことは、とても難しいものです。
●体験は一人ひとりの中に
ごくまれにですが、昔僕のワークショップに参加してくれた子どもと偶然出会うことがあります。そんな時、まず驚くのは子どもの成長。僕の中でのその子は、当時のままのその子ですが、時が経つともちろん背も伸びて顔つきも変化していますので、その子と気がつかないのです。再会は嬉しいものですし、再びワークショップに参加してくれたことはとてもありがたいことです。
その昔、僕が修行していた世田谷美術館に、ある日久しぶりにプログラムのお手伝いをしにいきました。スタッフルームを開けると知った顔のメンバーや知らない顔が出迎えてくれ、その中のひとりの高校生らしき女の子が僕にむかって「ゴウさん久しぶり!」と挨拶をしてくれました。
「ん? 誰だっけ?」と一瞬思ったものの、相手は僕のことを知っているので「誰?」と聞くのも気まずいと思い、そのときは「やあ!」と返事をしてしまいました。後で、他のスタッフに訪ねると世田谷美術館の子ども向けプログラムの常連さんだったことを教えてくれました。当時はまだ小学生4年生でした。当然、僕は何度もその子と同じグループになり一緒に活動していたのです。なので、僕の名前と顔を憶えていたようなのです。が、その子も今や高校生。大人びた表情からはその子と気がつきませんでした。でも、よくみると面影はあります。今はその子の妹(小学生)が美術館に通っているそうです。この子のように、成長とともに参加者からスタッフとしてプログラムに関わるようになったという子も少なからず現れたりします。これも、成果のひとつといえるのではないでしょうか。
「入院中の子どもたちが写した空の写真」 (2003年)
久々の再会といえば、僕が大阪の病院で行った入院している子どもたちの療養環境改善プロジェクトでこんなことがありました。このプロジェクトでは、空の写真を半年間撮って遊ぶプログラムを行っていました。入院中毎回参加してくれる子もいます。そうした子の一人(当時小学1年生の男の子)がプロジェクト中に無事退院していきました。退院していくことはとても嬉しい事です。でも、正直毎回きてくれた子と会えなくなるのはちょっと淋しいもの。
2006年、僕は再び同病院でプロジェクトを実施しました。入院しているある男の子が遊びにやってきて、僕はいつものように「こんにちは」と挨拶で出迎えました。するとその子は、「前にもやっていた人やろ?」と僕にいいました。「ん? 前って随分前(2003年)だけど。誰だっけ?」。すっかり忘れていましたが、彼の名前を聞いて、瞬時にその子の顔が思い浮かびました。そう、あのとき退院した子が再入院し、またここで再会したのです。すっかり背も伸び、顔つきも少し変わっていたため気がつきませんでした。入院はとても辛い事ですが、この再会はとても嬉しいものでした。しかも、3年前のプロジェクとのことや僕のことを憶えていてくれたのです。こうしてまたアートプロジェクトに参加してくれたことは、彼の中で、この活動を受け入れてくれている証拠だと思います。
場所や内容はともあれ、僕のやってきたことが、参加者一人ひとりの中にちゃんと体験として残っていることを実感できた瞬間です。
●一番の成果は僕自身
そもそも、僕が小さい頃のことを思い出してみると、母がよく近所で開催していた工作教室などに連れていってくれました。雑誌などに付いていた付録を作るのが好きで、既成のものに飽き足りず、近所のスーパーからダンボールをもらってきては、ロボットや秘密基地などを作って友達と遊んだものです。モータで動く車のプラモデルも好きで、どんどん改良してどこまで小さな車を作れるか挑戦した記憶もあります。また、住んでいる街に図書館ができ、放課後一目散に向い、本を借りまくり、司書さんとお話するのも楽しみでした。中高時代には、市内に唯一あった画廊に足しげく通ってオーナーや作家とお話するのが好きでした。
結局小さい時に自由にものを作らせてもらった環境、そして出会った大人たちとの交流が、今大人に成った自分も当時の自分が経験したように、今の子どもたちに経験して欲しい、と願っているのだと思います(だって、あんなに楽しかったのですから)。それがたまたま自分の好きな「アート」であるに過ぎないのです。スポーツ選手になっていたらスポーツだったかもしれません。ダンサーだったらダンス、ミュージシャンだったら音楽。自分はただアートに興味があって、好きで、この中で子供と関わっていきたいのです。
結局、一番の成果はこうして小さい時に経験した影響を受けて、大きくなった僕自身なのかもしれません。 (了)
■プロフィール:ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
1998年より、日常生活におけるアート体験や作品と鑑賞者をつなぐため、主に子どもを対象としたワークショップ・プログラムを企画し、全国各地の美術館、美術展、保育園、小学校、社会教育施設、病院などで実施。近年は、ワークショップの経験を活かしアートボランティア研修会、講習会などに指導者として携わり、人材育成にも努めている。