ワンダフルスマイルのために 第5回
「おもろい病院」を目指して!
文●ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
「おもろい病院」を目指して!
文●ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
ワンダフルスマイルのために: 第1回/第2回/第3回/第4回/第5回/第6回
●“ファンキーな大阪”でつくる、新たな病院の風景 (※1)
前回は、大阪の病院で行ったアートプロジェクトに関してお話しましたが、今回はその続編。
2003年に小児病棟で入院する子どもたちの療養環境をアートの力で改善する試み「アートもクスリ」を終了した3年後(2006年)のある日、このプロジェクトで記録写真を撮っていただいていたカメラマンの直井健士さんから、自分の写真作品が賞をとったと連絡を受けました。
その作品は、大阪市大病院のある天王寺界隈で、流しをしているおじさんがギターを抱え、満面の笑みを浮かべているスナップでした。実は直井さん、生まれも育ちも天王寺。昔から自分が生まれ育ったこの界隈にある「飛田新地」や「ジャンジャン街(ジャンジャン横丁)」など、独特の雰囲気の街並や人間模様を数多く撮影しており、ご自身のブログでも発表しています。
この作品に心奪われた僕は、そのブログのことを知り早速アクセスしてみました。するとそこには最も大阪らしい“ファンキー”(型破りな、素朴な、いかす等の意味)な写真の数々が掲載されていました。単なる風景や人物写真にとどまらず、この街にあふれる“匂い”、“音”、そして“パワー”のようなものがひしひしと伝わってきて、まさにこの街で生まれ育ち、生活する等身大の彼だからこそ捉える事のできる感性のなせる業だと感じたのです。
そんな直井さんの写真を見ながらふと考えたのが、大阪市大病院内に展示してある約500点もの「風景」や「動植物」をテーマにした写真や絵画のことでした。こうした院内環境を彩る作品は、外来患者や入院患者、また院内職員の目を楽しませてくれるものだと思います。しかし、病院の職員の方に聞いてみると一部を除き10年近く展示替えが行われていないそうで、確かに中には退色している物もあります。
そこで、大胆にこれまでと趣向を変え、非日常ともいえる病院空間に、直井さんが撮りためてきたありのままの大阪の街や人物の写真を持ち込むことで「新しい病院の風景」を創り出し、それらを通じいつもと違うコミュニケーションが生まれ、病院環境に変化を与えることができるのではないかと考えたのです。
早速、直井さんの写真展の企画を病院側に提案してみました。はじめ施設管理を担当している職員の方は、企画内容に対しあまり良いイメージを抱いていませんでした。それもそのはず、展示する内容は大阪在住の方ならば良くご存知の天王寺界隈の写真。大阪の中でも最も「ディープ」とされているエリアです。いわゆるホームレスといわれる方たちが大勢暮らしており、彼らの日常を捉えたシーンを、いくつも展示しようとしていたのですから。それらを病院内で見せるということは、ある意味とても冒険でした。
しかし、この担当の方に実際の写真を見て頂くと、そのイメージは一転し、直井さんの暖かい眼差しで捉えられたこれらの写真を気に入って下さり、周りの職員にも意見を聞き反応を伺った所、おもしろいという人もいたことから、ならばやってみようということになりました。その後、院内のさまざまな部署の方々で構成される良質医療委員会(ボランティア活動WG)にも話を通し、実施に向け準備が進められたのでした。
ただし、ありのままの大阪といっても、ストレートに写真のみを展示することはいろいろな誤解を招きかねません。そのため、この難しいテーマをやわらかく表現する必要があり、さまざまな工夫を試みました。
ひとつはトリミング。極力余分な部分はカットし、正方形に切り取る事で視覚的な安定感を与えました。ふたつ目は解説文。写真から何を感じるかは基本的には見る人に委ねるのですが、直井さんがなぜこの写真を撮ったのか、その時の気持ちや状況を彼自身の言葉で綴った文章を写真ごとに付けました。これによって、直井さんの視点がさらに付加されます。そして、今回写真パネルのデザインを担当したデザイナーの提案で、それらを手書き風の書体で表現することにしました。これでさらにやわらかさが増し、まるで手紙を読むかのようにすんなりと文章に目がいくようになりました。こうして、写真作品は、直井さんの眼と心の代弁者となったのでした。
展示場所にも工夫を凝らしました。病院内はそもそも展示用には設計されておらず、ライティングの調整もできなければ、広い壁面もありません。そこで、できるだけ多くの人の目にとまり、明るい場所として着目したのがエレベーターホールでした。ここは病院内でも明るい場所のひとつで、なによりエレベーター利用の人々がたくさん集まります。
実は、大阪市大病院のエレベーターはとにかく来るのが遅く、いつも待たされます。この待ち時間を利用して写真に目がいくだろうと考えたのでした。事実、会期中のアンケートには「エレベーター待ちが楽しくなった」との意見もあり、こちらの狙いがみごと的中。正確な鑑賞者数は把握できませんが、病院の利用状況から考えて少なくとも会期中3,000人以上が目にしたと思われます。
「なにわのゆず」 直井健士写真展 (2006年)より
●波乱の幕開け
展示設営も無事終わりほっとしたのも束の間、展覧会初日の月曜日、病院事務所内はなんだか慌ただしい雰囲気でした。担当職員の方が開口一番「ご意見箱に投書が入っとった。何とかせなあかん!」。ご意見? 何とかする? ようやく自体を読み込めた僕は一瞬目の前が真っ暗になりました。設営の日は病院が休みの土曜日。しかし、入院している患者さん達は病院内を行き来できるため、一般外来の患者さんよりも一足先に展覧会を見る事ができるのです。どうやら展示を見た入院患者の方が早速ご意見箱に投書してくれたようです。それは「エレベーターの壁に訳の解らない写真パネルが貼ってあるが何故か? 市大病院には相いれない様に思う」というような内容でした。
展示の内容的に、僕も直井さんも批判的な意見がでることはあらかじめ覚悟していましたが、さすがに初日からということで二人ともショックを隠せませんでした。展示意図を記した広報用のチラシを一緒に掲示していたのですが、あまりにも文字が小さすぎました。これは完全にこちらのミスです。また、展示写真も当初「建物」や「子ども」などジャンルごとにまとめていたためホームレス関連の写真が一角を占めるなど、雰囲気的にかなり強烈なインパクトを与える空間になっていました。
そこで、急遽大きめの文字で「写真展示について」という文章を掲示し、また、写真をジャンル毎にまとめるのはやめて、いろいろなシーンをほどよくブレンドし再構成し直しました。以後、展示の意図もご理解いただけたのか、批判的な意見は少なく、回収されたアンケートには好意的な意見が多数寄せられ、展示を途中で中止する事態に陥ることもなく、無事会期を終える事ができたのでした。
●ご夫婦からのお礼、さまざまな反応
エレベーターを利用する人は一階ごとに降りるわけではありません。そのため、目につく写真パネルに変化を持たせようと定期的に何枚か各階毎に入れ替えをしました。そうした作業の中、あるご夫婦の姿が目にとまりました。旦那さんが車椅子に乗った奥さんを押しながら、じっくりと写真を見てまわっていたのです。お二人の会話に耳を澄ますと「これは新世界市場やな」「まだあるんかいな」などと始終楽しげな様子でした。思わず「他の階にもいろいろな天王寺界隈の写真がありますからご覧下さい」と声をかけると、旦那さんから「妻がずっと車椅子生活で外にでられへんから、こうした自分の知っている景色の写真を見られて嬉しい。ほんまにありがたい。ありがとう、ありがとう」と、何度もお礼の言葉を頂きました。そして「ひまつぶしにもなるわ。他んとこも見せてもらいます」と、また奥さんの車椅子を押しながら写真を見てまわっていたのでした。このご夫婦の言葉で、初日のことがすっかり報われた気がしました。
院内の様子を観察していると、一枚一枚の写真の前で立ち止まり、じっくりと見ている方々の姿が多数見受けられました。また、病棟に戻っても他の患者さんと写真の話をしていますという方もいらっしゃいました。エントランスに掲げていた大型プリントを撤去する際には、作業の様子を見ていた入院患者さんから「大きな写真がなくなるのは淋しい」と取り外しを惜しむ声が聞こえてきました。
展示に関するアンケートでは「気持ち悪い」という意見が一つあったものの、「心があらわれるよう。人間のあるべき姿が見えたような気がする」「元気になれた」「人の心にふれる暖かい作品だと思う」「病院の中で、外の風景や街並を感じられて、ステキなプロジェクトだと思う」「写真も良かったし、添えられたコメントも素直にひびく内容だった」など好意的な意見をたくさん頂戴しました。さらに、院内で働く医師からも「目をひく場所に設置してあり、うつむいて入ってきた患者さんがふと目をあげると飛び込んできます。すばらしい試みです。いろいろすすめていってほしい」という激励の言葉もありました。
●アートの力、病院のチャレンジ
目の前に広がる見知った外の風景写真を病院の中に持ち込み、院内に新しい風景を作り出すという試み、内容的にはちょっと大胆だったかもしれません。しかし、現場の様子やアンケート結果から短期間ではありましたが、一応成功したのではないかと考えています。もちろん、嫌だという感情をいだかれた方もいらっしゃいます。でも、確かにそこには新しい風景に反応した人々がいました。新しい会話が生まれていました。こうしたさまざまなコミュニケーションが生まれた背景には、直井さんの写真が持つ力によるところが何よりも大きかったと思います。まさに「アートの力」です。
大阪市大病院で取り組まれている「療養環境プロジェクト」にはいろいろなアプローチがあります。「学校教育活動支援」、「学生ボランティア活動支援」、「調査研究事業」、そして「アートプロジェクト」。今回の「アートプロジェクト」は、かなりきわどい写真展でしたが、病院側の理解と寛容な態度、そして市民のために「おもろい病院」を目指すチェレンジ精神があったからこそ実現できたと思います。この「おもろい病院」とは、いつも事務方でお世話になっている職員の方が良く口にする言葉です。捉えようによっては不謹慎な感じもしますが、「おもろい」という大阪ならではのニュアンスは、だれもがニッコリと微笑み、優しくほっこりとした気持ちにしてくれるイメージを想起させます。
昨今、医療に関するさまざまな制度改革や経営の見直しといった新たな問題が、全国の病院の前に立ちはだかっています。病院も生き残りをかけるためにあれやこれやと模索し、新しい試みにチャレンジしている時代です。しかし、病院がいかに変わろうとも、病院を利用する人にとって、そこは病気を治療する場所であることには変わりありません。ならば、ちょっとでも良い治療が受けられ、快適な療養環境が保証される病院を選びたいと思うのが利用する側の心理です。そしてそこが「おもろい」のであればなおさらのこと。
今後も病院=「まち」にアートを持ち込み、「アートの力」でどこまで療養環境が改善できるのか、その可能性を探り、大阪市大病院のみなさんと共にチャレンジしていけたらと思います。
さて、次回でこの連載も最後。これまで関わって来た子どもたちについて総括的にお話できればと思います。
(※1)
大阪市立大学「療養環境プロジェクト」アートプロジェクト2006
直井健士写真展「写真屋ケンちゃんの“ファンク・ザ・天王寺”」
2006年12月11日(月)-22日(金)
会場:大阪市立大学医学部附属病院内各所(エントランス、地下1階から3階までの一般、寝台エレベーターホール付近及び小児科外来壁面)
■プロフィール:ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
1998年より、日常生活におけるアート体験や作品と鑑賞者をつなぐため、主に子どもを対象としたワークショップ・プログラムを企画し、全国各地の美術館、美術展、保育園、小学校、社会教育施設、病院などで実施。近年は、ワークショップの経験を活かしアートボランティア研修会、講習会などに指導者として携わり、人材育成にも努めている。