ワンダフルスマイルのために 第2回
見るアーティスト
文●ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
見るアーティスト
文●ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
ワンダフルスマイルのために: 第1回/第2回/第3回/第4回/第5回/第6回
●つくる人、見る人
さて、連載の2回目は「見るアーティスト」についてです。芸術作品を生み出すのが「つくるアーティスト」ならば、それを見る人、つまり鑑賞者のことを対極的に「見るアーティスト」と呼んでみるのはどうでしょう。
実はこの言葉、僕がアートに興味を持ち始めた中学、高校生の頃に、ほぼ毎日のように通っていた画廊のオーナー(惜しくも一昨年他界)の言葉なんです。北海道の片田舎で「いなか画廊の美の種まき」と称し、地元作家を大切に育て、郷土に根ざした活動を精力的に実践してきた方で、多くのことを学ばせていただきました。
この頃はまだ「画廊」と「画家」の区別もつかなかった青二才でしたが、そんな僕に、作品について、またアーティストについていつも熱く語り、作品を見ることの楽しさを教えてくれたのでした。信じるのは「自分の眼」というこのオーナーの一言が、僕の「作品を見る」ということの根源を成し、今でも肝に銘じています。
こうして自分は、「見るアーティスト」だと意識しながら、いろいろな作品を見てみると、どんな作品であれ対等な立場で向き合えるように思えるから不思議です。
●見る人の「見方」を見てみたい
そもそも、僕がワークショップ・プランナーという仕事を始めたのも、元をたどれば「アートを見る」ことの楽しさを伝えたくて始めたようなもの。そして、僕自身ワークショップを通じて、他人がどのように作品を見ているのか、それを垣間みることに非常に興味があります。つまり、見る人の「見方」を見てみたいということ。
いつもは、子ども達(主に小学生)を対象にワークショップをやることが多いのですが、彼らにアートを見ることの楽しさを伝えるはずが、いつもこちらが楽しさを教えてもらう立場になっています。彼らの作品の見方(斬新な発想や気づきの過程)を知ることは、非常にエキサイティングです。また、子どもの想像力、創造性というのは、大人の僕らでは思いもつかないユニークなものが多く、「参りました!」と毎度のことながら降参させられてしまいます。まさに、子どもは「見るアーティスト」です。
子どもに限らず、見る人の「見方」を具体的に知る方法のひとつとして、直接感想を聞いて会話をするというのがあります。でも、「どんなことを感じますか?」などと聞いてみても、照れてなかなか話してくれないこともあります。特に大人の場合、人と違っていたらどうしようとか、間違っていたらはずかしいと自分の感想を述べることに躊躇する人もいるのではないでしょうか。
ちょっと脱線ですが、僕が中学生の頃、国語のテストで「物語の感想を述べよ」という設問の答えにバツをもらった経験があります。感想に不正解があるのかと納得できず、担当の先生になぜ僕の感想がバツなのかを尋ねてみました。すると「普通の人はこんな感想を抱かない」という答えが返ってきました。僕は普通の人ではなかったようです(笑)。
何はともあれ感想というのは人それぞれに抱くものなのだから、いろいろあってしかるべきだと思います。この国語のテストの例のように「一般的な感想」(多くの人が同じように感じたこととでもいいましょうか)ではないという理由で否定されては、何も言えなくなります。もちろん、アート作品に対する感想にも正解、不正解はありません。ただ、感想を言うということは、それだけ感じたことを表現するための「言葉」を持っていなければなりません。その言葉は、自分の「経験」や「知識」の蓄積の中から導き出されてくるものです。そのためには、たくさんのアート作品にふれたり、より深い作品理解を促す為に美術史を学んだり、アーティストの情報を集めたりすることも大切です。しかし、それ以上に普段の生活の中で、いろいろな本を読んだり、料理を作ったり、美味しいものを食べたり、自然に親しんだり、運動をしたり、人とお話をしたり、さまざまな人間としての営みの経験値を上げる事が重要だと思います。
幼い子どもの場合、まだ経験も知識も不足しています。なので、自分が知っているありったけの言葉をつなぎ合わせて表現し、また少ない経験の中から照らし合わせて伝えようとするので、とっても不思議な雰囲気をもった感想を持ったりします。それもまた、非常にユニークで言い得て妙な時もあって、ある種アート表現のように感じます。だからこそ僕は、子ども達と一緒にアートに触れ合うのが楽しいのです。どんなことを言い出すのかと思うといつもわくわくします。
過去に実施したワークショップで聞いた子ども達が発した言葉の中で、今でも印象的なものがあります。いくつか紹介しましょう。展示室に入って最初に目にした大きな絵を見て「びっくりした!」と言った女の子がいました。丸い穴がたくさんあいていて、カエルの卵のようにも見える絵でした。僕も絵を見て「すごいなー」とは言った経験はありますが、「びっくりした!」とはなかなか言えません。
この子は本当に驚いた様子で、絵の前で後ずさりさえしていました。一体何がそんなにびっくりしたのか、こちらがびっくりです。他には、金と銀のラインで描かれた作品を見て、行ったこと無いけど「天国にいるみたい」とか、アーティストが作品の下に潜り込んで制作した際にできた表面のしわを見て「これは努力の跡だね」などと言った男の子の言葉が印象に残っています。この時は、たまたま作者が居合わせ、この子の「努力の跡」発言を聞いて報われたのか、涙ぐんでいました。
●お気に入りを探して見る
さて、このように見る人の「見方」を知るために、感想を聞いて会話をするという方法もありますが、どうせやるならもっと面白く、楽しく知りたいと常日頃考えています。そのためにはどうするか。ただ漠然と見るのではなく、ある視点やテーマを設けて鑑賞してみるというのはいかがでしょう。
例えば、これは僕がやったワークショップのひとつなのですが、自分が審査委員になったつもりで「お気に入りの作品」を探し「賞」を付けるというものです。賞といっても1等賞、2等賞というように優劣順位を付けるのではなく、一番好きな作品、または気になった作品を選び、「ドキドキ、ワクワク賞」「ピカピカ賞」みたいに作品の印象などから賞の名前を付けてもらいます。賞の名前を付ける以外に、選定理由も書いてもらいます。さらには、言葉では言い表せない作品から得た印象を絵に描いてもらいます。
「賞」を付けるというモチベーションが、作品をじっくりと見ることにつながり、また賞の名前や選定理由を考えることで、自分が感じたり考えたりしたことの整理作業にもなります。そして、印象を絵に描いてもらうことで、鑑賞の軌跡や自分が捉えた作品のポイントのようなものを探る事ができます。このように「賞名」、「理由」、「印象」といった3つプロセスを通じて、その人の作品の見方を知る仕組みになっています。
このワークショップは過去、さまざまな場所や作品で実施しています。一番初めは、2001年に開催された第1回目の横浜トリエンナーレ(横浜市)。この時は、現代美術という難解な世界で大人が見ても「???」が並ぶ展覧会でした。
ならば子どもが見ても同じだろうと考え、積極的に子どもに見せるための仕掛けとして用いました。子ども達は初めから「わからないもの」という先入観がない分、自由に鑑賞し、眼をキラキラと輝かせながら審査していたことを思い出します。そんな中、自分のセンスに合うといってスーツケースがひとつだけおかれた作品に賞をあげていた女の子(当時小学4年生)がいました。ちなみにその時の賞の名前は「あなたはいうことなくて天才でしょう」でした。理由も「みんなとちがっていてよかったから」だそうです。確かに、広い会場内にスーツケースがぽつんと置いてある様は、展示してある他の作品の中でも異質でした。そのことを感じとった感性は、なかなかのものだと思います。
他には、2002年と2003年の2回、上野の森美術館(東京都台東区)で行いました。この時の展覧会は、いずれも平面作品の新しい可能性を探るというVOCA展でした。こちらは実際に大人の審査員が賞を与える展覧会ですので、まさに賞を付けるワークショップはうってつけの内容です。
審査にのぞんだ子ども達は、大人が付けた賞など気にもとめず、我が道を行くといった感じで、大人の審査員とは違った視点が楽しめました。おもしろい事に、ある作品に5名もの子ども達が賞を付けてくれました。それは画面いっぱいに青く塗られ、黄色い線がすぅっと入っている全くの抽象絵画でした。もちろん5名の子ども達は、お互いに同じ作品を選んでいることは発表の時まで知りません。賞の名前も異なるし、理由も違っていました。この作品に人気が集まることは全く予想していなかったので、つくづく子どもの見ている世界は面白いなと思いました。でも、こうした予想外の結末がワークショップの醍醐味でもあります。
一番最近では、2005年に国立西洋美術館(東京都台東区)の常設展を使って行いました。この時は、先述の展覧会とは全く内容が異なり、一部抽象的な作品はあるものの、いわゆる泰西名画が中心でした。賞の発表は展示室内の該当作品の前で行ったのですが、いつのまにか周りにいた一般の来場者も集まって来て「へぇ、なるほどね」と感心しながら子どもたちの発表に耳を傾けていました。子どもの見方というのは、大人の鑑賞の一助にもなるのです。
作品を審査する子どもたち。国立西洋美術館でのワークショップ(2005年)の一コマ
●いろいろな世界を見てほしい
これまで4回の賞を付けるプログラムを実施してきました。それを通じて感じた事は、現代美術であれ、抽象絵画であれ、具象絵画であれ、子どもはいかなる時も「見るアーティスト」であるということです。僕は、子どもにはいろいろな作品を見てほしいと思っています。もちろん子どもの発達段階において脳の仕組みも異なっていますので、何をどのように捉え、理解するか年齢によって能力差は生じます。でも見知らぬ世界に出会う事は、その子の世界観を広げる意味で非常に重要な経験だと思うのです。そして、その世界観は、時に大人の世界観をも覆します。
以前、こんな事がありました。ミレーなどバルビゾン派の作品を用いてワークショップを行った際に、終了後の反省会でお手伝いをいただいたボランティアさんに感想を伺いました。その時、ある女性の方が「子どもにはバルビゾン派の作品は難しいと思っていましたが、私の偏見でした」と。僕は一瞬この方が何を言っているのか理解できませんでした。見て何が描いてあるかわかる、つまり牛や羊、森や花など、一つひとつを言葉で表現できる風景画であっても子どもには難しいと感じている大人がいる事実。
子どもと一緒に作品を見て回ることは、大人になって硬くなった頭を柔らかくする意味でも良い経験だと思います。機会があれば、ぜひ美術館などで行われている子ども対象のワークショップやギャラリートークなどの様子を覗いてみて下さい。もちろん邪魔にならないように。きっと、目からうろこ、の瞬間に出会えますよ。そして、みなさんも明日から「見るアーティスト」として作品と対話してみませんか?
■プロフィール:ゴウヤスノリ(ワークショッププランナー)
1998年より、日常生活におけるアート体験や作品と鑑賞者をつなぐため、主に子どもを対象としたワークショップ・プログラムを企画し、全国各地の美術館、美術展、保育園、小学校、社会教育施設、病院などで実施。近年は、ワークショップの経験を活かしアートボランティア研修会、講習会などに指導者として携わり、人材育成にも努めている。