EXHIBITION | TOKYO
プラチャヤ・ピントン(Pratchaya Phinthong)
「The Heat of the Empty Forward」
<会期> 2025年2月15日(土)- 4月26日(土)
<会場> SCAI PIRAMIDE
<営業時間> 12:00-18:00 日月火水祝休
この度、SCAI PIRAMIDEでは、プラチャヤ・ピントンの個展を開催いたします。
本展に寄せて、キュレーターのデビッド・テ氏が寄稿文を執筆くださいました。
同胞を見出す:プラチャヤ・ピントンのポエティック・ライセンス
“マルセル、絵はもうやめだ。仕事をしろ” *1
プラチャヤ・ピントンは1970年代にタイで生まれた作家である。同世代の作家の多くは海外に渡り国際的な評価を確立した後、芸術分野における環境的不備や不安定な政治的情勢といった困難な状況にも関わらず、故郷タイに戻ることを選んだ。しかしながら前世代と比べ、彼らのアイデンティティは曖昧で判読しづらい。なぜなら彼らは”タイ的”なシンボル(仏教、国家および王政)を避け、代わりに国の隅々に散らばる物語や素材を選んだ。ピントンに関していえば、それらは政府の失策によって打ち砕かれた稲作農家の希望であったり、ほとんど接続されない村のインターネット端末の存在であったり、人里離れた異国の地で創意工夫する移民労働者の姿であったりする。それらは、作家自身および彼の扱う主題共々、歴史学者の酒井直樹が「国体」と呼ぶものとは違い、1990年代以降に確立された東南アジアの現代美術の様式から大きく逸脱していることを示している。*2
ピントンの生まれ育ったタイの東北部(イーサーン)はラオスの影響が色濃く、独自の民族文化が根付く土地である。そして、近年の作品の核となる部分は、地球上で最も激しい爆撃を受けた隣国ラオス、シアンクーアン県の住人との長期にわたる対話に基づいている。住民たちは今も、ベトナム戦争時にアメリカ軍によってホーチミン・ルートを破壊するため、9年間に渡り実施されたバレル・ロール作戦の際、彼らの土地に雨のように降り注いだ榴散弾や兵器を回収し、リサイクルしている。機知に富むラオスの人々は、危険な廃金属に新たな命を吹き込み、建築資材やカトラリー、宝石に現代アートまで様々な価値ある製品を生み出しているのだ。同時にそれは家族を養うための家内工業でもある。
以前ピントンは、冷戦の暴力がもたらした物質的および精神的な傷を癒す活動に従事するNGOとの協働制作に取り組んだ。その一つが、幻肢痛という忌むべきしかし治癒可能な症状に苦しむ被害者のために、特別に設計された鏡を配布し、病を治癒することであった。それ以降、鏡のシリーズはピントンの制作活動の中で重要な存在となる。爆弾だった金属が研磨され鏡として蘇る、毒が治療薬となった。連想と転移が織り成す、広がりと修復の遊び心に富んだ音節として、驚くべき解放をもたらした。廃金属はカトラリー、通貨、一房の綿花となり、また残留榴散弾は違法伐採者から図らずも木々を守り、ステルス爆撃機は、非武装地帯に生息する絶滅危惧種の鳥に間違えられもしたのだ。
ピントンの制作活動は、錬金術に喩えられて来た。あるものの状態や文脈が別のものへと移行しつつ、物体が固体から液体および気体へ、あるいは俗から聖へと変容するように、新たな価値を獲得していくようである。しかし、交換は決して単純に物理的なものではなく、それはまるで移民が、土着的な意味やアイデンティティから離れ、より大きな世界で道を開くようである。この詩的な働きはあらかじめ決められているわけではなく、図解的でなものでもない。偶然性に左右されるものであり、反表象的であり、デュシャンのレディメイド*3 にも似た作用があるともいえるだろう。
日本で開催される初の個展に際して、ピントンは日本の軽工業に興味を抱いた。鏡作品と同じ金属を使用し、兵庫県姫路市にあるゴルフクラブ製造工場との実験的なコラボレーションを試みた。製造段階で加工される金属形状を使用し、展示空間に繊細なフレームを設置する。一方鏡の作品には、トーマス・エジソンが1879年に綿をフィラメントとして使用し発明したエジソン電球で照らされている。綿花(コットン)は、爆弾の同胞に成りうるものだ。そして、米やほかの食物を耕作する際の一般的な間作作物であり、ラオスやメコン地域の大部分では家族規模で栽培されている。衰退の一途を辿る我々の炭素文明のシンボルのように、鏡の間に不安定に取り付けられたこれらの壊れやすい電球は、儚い熱を放ちつつ、日本では馴染み深い昆虫であり、秋の季語でもある鈴虫の脈打つ歌声に連動している。
この無音の擬態は、生物と非生物との間の相互依存関係、それはアートによって輝き、技術によって出来上がることを想起させる。もはや日本はアジアの技術的旗手でないとはいえ、いまだ国家の近代化政策において早くに主力とされた手工業および職人技術の生きた博物館といえるだろう。「地域文化」として再評価され、保護を約束された実用品や、貴重な伝統技法は、大量生産が大部分を占める現代において市場価値を獲得している。この事実は他国に影響を及ぼすものであり、1997年から98年の金融危機の際に、タイ政府が実施した一村一品(OTOP)政策においても明らかである。OTOP政策は日本の近代化に倣おうとしたタイの長い努力の最後を飾るものであり、1970年代に大分県で開始され、その後発展途上国にて採用された日本モデルの流用であった。軽工業の技術が現代の「国体」から徐々に姿を消すなかで、日本は技術を守ろうとする国のひとつであることは間違いない。
アジアにおけるアートの近代性は、工芸との分離の仮定に成り立っているとは言い難い。ピントンの実践する農業従事者、科学者、あるいは地方企業とのコラボレーションは、彼らの実用に向けられた知性と、明らかに非本質主義的な芸術への理解に対する敬愛の意を現している。おそらくそれが、彼の詩的な力が古くからの技術に新たな意味や応用をもたらし、芸術作品そのものを新たな予期せぬ目的、そしてついには示唆に富んだ逸脱へと導くことができる理由なのかもしれない。
デビッド・テ
*1 マルセル・デュシャン、“ ジェームス・ジョンソン・スウィーニーによるインタビュー、1956年”、ミシェル・サヌイエ& エルマー・ピーターソン編集、ソルト・セラー: マルセル・デュシャンの主要著作(ロンドン、テームス& ハドソン、1975年)、133p.
*2 酒井直樹、パックス・アメリカーナの終焉:帝国の失墜とひきこもりのナショナリズム(ダラム& ロンドン、デューク大学プレス、2022年)、75-89p.
*3 ティエリー・ド・デューヴ、絵画的名辞主義:マルセル・デュシャンの絵画からレディメイドへの道、ダナ・ポラン翻訳(ミネアポリス、ミネソタ大学プレス、1991年)
SCAI PIRAMIDE(スカイピラミデ)
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