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銀座 黒田陶苑 伊藤美術店1878年 11月6日大阪生まれ。津市の素封家、川喜田久太夫家(きゅうだゆう)15代の長男。幼名善太郎、後に改めて久太夫政令(まさのり)。川喜田家は伊勢国津に本拠を置いて江戸大伝馬町(おおでんまちょう)に江戸店を持ち、主に木綿太物を扱っていた豪商。寛永年間(1624〜1644年)の創業で、半泥子生誕の頃には既に200年以上の歴史を持つ老舗であった。祖父・父の相次ぐ死去により1歳で家督を相続し、十六代久太夫を襲名。
1894年 三重県尋常中学校で藤島武二から洋画を学ぶ
1899年 早稲田専門学校を卒業。家業の百五銀行に入る
1903年 百五銀行取締役に就任。その後も百五銀行第六代頭取ほか数々の企業の要職をこなし、また三重県議会議員、津市議会議員として、経済・政治など幅広い分野で活躍
1912年 津市千歳山で楽焼制作
1930年 文化財団石水会館設立
1934年 自宅の千歳山に窯を築き、轆轤場に「泥仏堂(でいぶつどう)」と名づけ、「泥仏堂主人」ほか「無茶法師(むちゃほうし)」、「莫迦耶廬(ばかやろう)」、「部田六郎」、、「紺野浦二(こんのうらじ)」、「鳴穂堂(なるほどう)主人」、「其飯(きはん)」、「反古大尽(ほごだいじん)」など、ともに号として用いたが、世間的には「半ば泥(なず)みて半ば泥まず」の意を秘めた禅の師の命名による「半泥子」がもっとも有名
京都乾山窯発掘
1956年 津市郊外長谷山の麓に広永陶苑開設。
1963年 10月26日、老衰のため逝去。(84歳)
関連施設
財団法人石水会館 石水博物館 http://www4.ocn.ne.jp/~sekisuik/