児玉画廊|京都では5月9日(土)より 6月13日(土)まで、中野岳個展「Somehow the mosaic looks nice.」を下記の通り開催する運びとなりました。
中野は2014年東京芸術大学大学院彫刻専攻を修了、現在は、公益財団法人野村財団による助成を受けてシュテュットガルド美術大学への留学、およびトーキョーワンダーサイトの二国間交流事業プログラムのサポートによってベルリンでのレジデンスの機会を得て、ドイツに活動拠点を移し制作を続けています。
児玉画廊においては、グループショー「Super Body Maniac」(児玉画廊|東京)、「Super Body Maniac β」(児玉画廊|京都)において紹介し、今回が本格的な展覧会となると同時に作家自身初の個展となります。
中野はプロジェクトベースの作品制作を続けており、主として制作のドキュメント映像とその行為の結果できたものを同時に展示します。自身の彼女をカタパルト(巨大なパチンコ)で飛ばしてキャッチするという試み「空飛ぶワイフ」(2014)、倒壊の恐れがある建物の取り壊し直前に、部屋の四方と四肢をロープでつないで、自らの体を揺らす事で建物の軋む音(=建物の悲哀に満ちた泣き声)を聞く「最期の音をきく」など、自己と他者(或いは物)、そして両者を取り巻く環境とが織りなす関係性の中でのみ成立する「そこでしか起きない出来事」を想定してプランを練り、その「そこでしか起きない出来事」を成立させる(時には失敗して成立しないことも厭わない)為に、何らかのアクションを起こすことが中野作品の基本的なアプローチです。
今回の個展において、中野は「箱庭」をテーマにインスタレーションを構成します。「箱庭」は心理療法の一つとして、あるいは日本では古くからある趣味として良く知られたものである上に、造形的な面白さや深層心理の表出という点で示唆に富むことから、格好の題材としてアートの文脈においてもしばしば取り上げられてきました。しかし、今回の中野の展示は、空間にただ物を配置して、その構成の意図やアレゴリーを判読させるというようなありがちなインスタレーションではありません。
中野は、作家が作品を展示する行為を「箱庭」遊びのようだとして、その非言語的に表された作家の真意を展示から読み取らねばならぬ鑑賞者は作家よりもむしろ天才的な視座を求められるのだ、と、制作者と鑑賞者の関係性を独自に読み替えています。その上で、今回中野が試みるのは、箱庭を作ることが心理療法で言う所の言語化できない内面の表出であるなら、逆に、自分の中でアイデアとして存在すれども具体化できずにいる自分の思考を元に行動しながらその成果を配列し、一つ一つ関係付けていきながら、その結果としてできた空間を逆説的に「箱庭」と呼ぼう、ということなのです。鑑賞者である我々は、その投げ出された「箱庭」を懸命になって読み解く側に回らねばなりません。中野自身が理解できていないことに答えを与える、あるいは共に迷路に迷い込む、ということを覚悟して臨まねばならないのです。「答えのないピースでただ無造作に遊んでいるにも関わらず、目を逸らしたくなる状況に遭遇してしま うかもしれないということを認識して鑑賞してもらいたい」とは中野の弁ですが、「Somehow the mosaic looks nice.」と展覧会名に示している通り、モザイクの一つ一つの点だけでは無意味でも、集合になれば何かを隠すという役割を果たし、あるいは近くで見ると不明瞭でも距離をとればはっきりと具象性を示すように、鑑賞者の状況、心理状態、知識や思想、その他複雑な諸要素が関係性を作り出し、それらのシチュエーションに呼応するように作品は無限に意味を変えていきます。ひょっとして、それは何よりも魅力的な物かも知れないし、目を背けたくなるほどに酷い物かも知れないのです。
展示準備期間中にスペース内で山羊を一頭飼育しながら、展示物の中を連れ回して山羊と共に作る映像およびインスタレーション「山羊に神話を聞く」、イカスミパスタを食べながら楽譜に向かってくしゃみをし、その譜面を見てピアニストが演奏するという作品「Out of sight, out of sight」、 吐瀉物を食べる道端のハトを見て考えた思考を作品化した「鳩とゲロ」など、一連の作品のコンセプトと空間構成によって作り出される「箱庭」を我々はいかに読み解くべきでしょうか。ご高覧下さい。
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