ARATANIURANO では 1 月 17 日から 2 月 14 日まで多田友充 個展「ぼくは描くことができる」
を開催致します。
多田友充は 1979 年広島県生まれ、2005 年に名古屋造形芸術大学(現:名古屋造形大学)大学院を修了後、CCA 北九州リサーチプログラムに 2007 年まで参加、国内外でのレジデンス、展覧会参加といった経験を重ねてきました。近年では 「VOCA 展 2014 現代美術の展望--新しい平面の作家たち」(上野の森美術館、2014 年)にて 3m を超える大作「ぜんりょうなるものはそうぞうしない」を発表しました。ARATANIURANO ではグループ展「夏と画家」 (2014年)に参加し、本展は初の個展開催となります。
多田の作品においてまず印象的なのが、何層にも描き重ねられた画面です。水性の色鉛筆やパ
ステル、油彩、アクリルなど、様々な画材を重ねても、下層をけして打ち消すことなく、描線や多
様な色彩一つひとつの存在が分かるほどに、透明性を保持し続けています。特に白亜地では、透明性の下に伺えるその明るさと独特な質感によって、色の重なりが深く、より浮かび上がるかのように見え方が変化します。またボールペンなどによってもたらされる細やかな線は、確かな筆致でモチーフを捉え、極端なまでに簡素に、時にその繊細さとは真逆の力強い塗りで紙上を占領します。
こうした画面の特性によって支えられるモチーフは、具象物でありながら、ある種の写実性か
らは距離を置いて描かれます。例えば果物や動物、木や山といった自然、ありふれた身の周りの
品、さらには言葉などが、大胆にあるいは記号的に描き配されることで、圧倒的な存在感を放っ
ています。その背景にはアニミズムを思わせる一方で、現実とも非現実ともつかない、どこか不
気味な情景や日常の一片、そして概念の形象化に至るまで、前者と変わらぬ手法で描き出されます。ともすれば複雑にも思えるモチーフの数々、そこに向けられた感情や眼差しは多田ひとりによるものだとするにはためらいを覚える不整合さが常にあり、しかしながら完全なよそ者によ
る表象ではないのです。
ではその作品たちを何と考えればよいのでしょうか。いずれもが純粋に、彼のなかにある無数
のことば/イメージ/できごとがひしめき合って、こぼれだすように描き出されているだけだ
とすれば、とても率直にその意味において、多田は"器"として存在していると言えます。その前
提として、中にあるものは自らが一から生育したものではなく、多田を通過するために滞在して
いく何かであり、作品はその"何か"の視覚的な現れだと考えられるのです。
多田のことばが物語るように"できる"ことというのは、個々の事柄も意味も概念も多様です。
「ぼくは描くことができる」。多田にとって「描くこと」は職能ではなく、普遍的でできることの
ひとつとして存在し、かつ特別なことです。日々寡黙に続けられるその行為は、喜びでもあり苦
しみでもある、そして彼を飽きさせることなく動かし、多田を待つまだ"わからない"何かにとっ
ても、彼自身にとっても失くすことのできない行為であり続けるでしょう。
ギャラリーの空間を埋め尽くす大作 4 点をはじめとする新作を発表致します。
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