私にとってドローイングは、日常の感情の揺れを記憶したもの。
自分の気持ちを知るために描くもの。
描けるものであれば何でもいい、そのときの感情が逃げる前に記憶できればそれでいい。
ドローイングという心の痕跡は、言葉以上に物語る。
私がドローイングを始めたのは大学卒業制作時。
その時はなにを描きたいとかいう具体的なものはなかった。
ただ淡々と食べたものの味や、聞いた音、嗅いだ匂いなど形のない体験を、狂ったように描いていった。
それは次第に具体性を帯びて、記憶の中の、目で見たものにかわる。
この時の気持ちは実に穏やかで色も赤ん坊のように薄くて生温いものが多い。
楽しくてしょうがなかった。
2011年3月11日東北地方大震災、地球があげた大きな声に、
私の心は一時停止する。
それ以前の積み重なった記憶を、急に思い出すことができない。
薄暗くなる空が恐ろしくてカーテンを閉め、スキーウェアをきて布団に隠れた。
翌日、陳列棚に何もないコンビニで目にした新聞の一面には、黒い海に浮かぶ真っ赤な炎。涙で見えなくなるまで見続けたその色は、あの灰色に印刷された色ですら強烈で、それから色を見るのがしばらく怖かった。
山を挟んだすぐ隣町で大変なことが起きているのに、この山を越えることすらできない。昨日まで絵を描いていたことも、生きていることすら罪のように感じた。
地震直後、記憶したドローイングはどれも混乱し、色もない。鉛筆も筆もしっかり握れず、震えだけが残っている。
まだ寒い東北で、電気もガスも水道も止まっているのに窓から差し込む太陽は、
今まで見たどの日の太陽よりも暖かく、優しく、あたたかかった。
もう限界だった。
震災からしばらく山形にいたが、実家の札幌に避難した。飛行機から降りた街は、普段と何も変わらない光景で、東北で起きたこととのギャップに耐えられず、色がどんどん見えなくなっていく。
このとき先端が固い鉛筆よりも筆を多く使っているのは、紙越しでも床にぶつかる振動が怖かったからだ。毎日、脳はずっと揺れていた。
約一ヶ月後山形に戻り、その後みんなでバスでボランティアに向かった。
車中の景色は津波がきたであろう場所から急に更地になり、ぽつりぽつりと現れる大きな瓦礫の山、積み重なる自動車、壊れた家、一瞬で変わり果てた街で待っていたのは、絶望と悲しみと、人が人を支え合い生きようとする強い力だった。
それを境に描いたドローイングは働く車や物資を運ぶ車、そして家をなくした人の為に絵で新しい家を描いて建ててあげたものが多く残っている。
あれから三年が過ぎた。未だ私のトラウマが消えることはないのだから、実際に津波を経験した人々は尚更だろう。しかしどんなにひどい目にあっても、三年前のあの日の記憶は確実に少しずつきれいになっていく。そしてどんな感情も、生きているから感じるのである。
一瞬の心の揺れは二度と出会うことのできない実体のないもの。描いているうちに、つらい過去を打ち消そうとして想像も加わる。だからこれ以上自分の心のすぐそばまで近づくことはかなり難しく、常に不完全。
私が描いた紙の記憶は、どんな説明も必要ない。
積み重なる記憶こそが今を語る、これからをつくるすべてである。
2014年6月 近藤亜樹
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