2013年度企画は、ゲストキュレーターに中井康之氏をお迎えし、「楽園創造(パラダイス)-芸術と日常の新地平-」をテーマに全7回の展覧会で構成されます。
第二回目は池崎拓也さんの個展を5/25~6/29まで開催します。
池崎拓也 スタジオ風景 2013
■2013年5月25日(土)~6月29日(土)
11:00~19:00 日月祝休 入場無料
アーティストトーク 池崎拓也x中井康之 5月25日(土)17時~18時
ゲストキュレーター:中井康之(国立国際美術館主任研究員)
Curated by Yasuyuki NAKAI
Ust中継あります→ http://ustre.am/Y5lP
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ありふれた表面の奥の方、向こう側。
池崎拓也
僕の作品制作は、主に日常品を素材としている。
そして、素材を選び、組み合わせることによって、
素材同士の繋がりやその変化、そして関係性を、
ある状態に置き換えて表現にしている。
それぞれの素材が持っている言葉のようなものと僕の思考が繋がる時、
個人の記憶や時間の感じ方、手触りのようなものが得られる。
それは、僕らが生きる現代の社会やシステム、世界の枠組みに触れること、
或いは素材の特質や加えられた変化によって、近づいて行くような感覚である。
しかし、同時に僕の作品存在そのものは、
いつも断片化されたどこにでもある風景の切れ端のように佇んでいる。
あたりまえの様に佇むそれらの切れ端は、
ある「道」のようなものを内包しているように思う。
一方には、質感や色彩、その素材が持つ機能性やイメージが言語に置き換えられ、
詩的に散らばり、つながっていくような「道」。
また、もう一方には、素材自体が持っている形態を規定する、
基本的要素としての点や線、面として繋がって行く「道」。
この二つの「道」が重なりながら連鎖していくことで見えてくる作品の様相は、
どこの場所にも存在しない言語の文法を組み立てていくように、
僕たちが経験しえなかった無限に広がる世界やその解釈を新たにする内容が、
何度も何度も繰り返し読み込まれる可能性を秘めている。
たくさんの「もの」や「事」に囲まれている現代の生活の中で、
全体の認識はつねにこぼれ落ち、部分だけが残る。
つねに全体の一部であり続けることを受け入れたいと思う。
限り無く拡張しつづける日常空間という世界に、
身体の全感覚を使い、身を揺蕩わせたい。
そして、自分を取り巻く事柄、故郷や社会について、
目の前にある素材を通して深く往来しながら、過去や未来、現在を思考する。
安定した状態や不安定な状態、
それらが示す「ある状態」と扱われている素材同士の力関係が、
相互に作用しながら現実の一片が立ち現れ、
物質や精神的な意識が流転しながら「存在すること」の意味をパラレルに拡張していく。
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●池崎拓也 いけざきたくや
1981年鹿児島県徳之島生まれ。2005年 武蔵野美術大学造形学部油絵学科卒業。
2008~2010年 中国北京中央美術学院造形部実験芸術科研修終了。主な個展に、2009年
「瞼の裏側とその空虚マップ」(新宿眼科画廊、東京)、2007年「その時、瞬き しました」
(Loop Hole、東京)など。グループ展に、2011年「4人展 -絵画-」(シュウゴアーツ、東京)
SLASH/04「飛ぶ次元-found a pocket-」(Island Medium、東京)、
2010年「皮膚と地図―4名のアーティストによる身体と知覚への試み」
(あいちトリエンナーレ2010 現代美術展企画コンペ入選企画展)など。
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フィクショナルな世界とスリリングな「楽園創造」
中井康之
今回のαMプロジェクトは、当初「芸術と日常」というキーワードを掲げて用意された。
その骨子は、20世紀芸術の前衛性に先鞭を付けた「ダダイスム」という「芸術」運動が、
第1次世界大戦という絶対的な「日常」と対峙しうる表現として登場した
歴史的事実を踏まえ、3.11以降という「非日常」と「日常」の融解した状況を映し出す、
或いは、それを無化する絶対的表象としての「芸術」を希求することを考えた訳である。
もちろん、そのような「芸術」を見出すことは容易には適わないだろう。
しかしながら、逆説的な物言いになるが、その絶対的な対象は、
求める限りにおいて存在する可能性を有すると想定できるであろう。
そのような、追い求めることによって存在する対象として最初に掲げられる用語は
「楽園(パラダイス)」であろう。
《我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか》という作品を
作家生活の晩年に創作したポール・ゴーギャンは、
その「楽園」を求めて南国の地タヒチへ向かった筈であったのだが、
首都パペーテはすでに西洋化し、落胆しながらもさらに奥地へ足を進めたのである。
ゴーギャンが行きついた先が「楽園」であったか否かは分からない。
しかしながら、彼が我々に残していった上記の畢生の大作と
彼の自伝的物語『ノアノア』等から伝わってくるのは、
ゴーギャン自身は確かに「楽園」を見ていたと信ずるに足る
「創造された世界」の存在であろう。
さて、以上の様な経緯によって獲得されたタイトル
「楽園創造(パラダイス) --芸術と日常の新地平--」の第2弾を飾るのは、
日常的な事物の存在をそれぞれが有する文脈から外した上で独自な方法論によって
世界構築を具現化する作家、池崎拓也である。彼が作品素材として用いる事物たちが
「オブジェ」という名称を与えられ、美術史上に登場したのは、
奇しくも前述の「ダダイスム」という反芸術思想の実践によってであった。
ここで、もう少し「オブジェ」という用語に対して正確に記す必要があるかもしれない。
様々な固有名詞を持っていた事物たちが、それぞれに付されていた名称を剥奪されて
匿名的な単なる事物(オブジェ)とされながら、
唐突に芸術作品の主題(シュジェ)としての立場に晒された、というのが
「オブジェ」に対するより正確な説明であろう。
もちろん、「ダダ」の反芸術的精神を尊重するならば、
主題となった「オブジェ」の出自を問うこと自体に意味が無いことは当然であるし、
さらには、主題としてどのような役割を果たすのかを問うことも許されないであろう。
果たして、池崎は、「オブジェ」の前述した誕生の経緯を尊重するかのように、
それぞれが有していた役割を剥奪した上で、それぞれに与えられた機能というものが
何であるのかを特定することが困難と思われるような構造をその事物たちに用意し、
鑑賞する者は、判断を中断することを余儀なくされる。
と同時に、それらの「オブジェ」たちに秘かに新たな役割が与えられていることもある。
そのようにして構成された事物たちが全体として顕現する表象は、
反芸術的世界からは乖離したものになり、鑑賞する者は知らぬ間に
池崎のフィクショナルな世界構築に取り込まれるだろう。
そして彼らは、池崎のそのスリリングな「楽園創造」に全面的に対峙することになる。
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楽園創造(パラダイス)-芸術と日常の新地平- 中井康之
「芸術」を「日常」から乖離させたのはロマン主義だった。
近代以降の芸術思想はその流れを汲むものであったろう。
20世紀における芸術の革命の旗手、シュプレマティスム運動は、
政治という「日常」が「芸術」との束の間の蜜月を生み出すのだが、
革命政府は内容や主題を革命に沿わせる方向に転換し、芸術様式の革命にはそっぽを向いた。
革新的な様式の精神が生き存えたのは、非革命的な政治世界、資本主義体制に於いてであった。
「芸術」と「日常」は再び乖離した。そのような歪んだ関係に対して、
戦争という圧倒的な「日常」に対峙しうる絶対的な「芸術」が求められた過程を、
ダダイスムという反芸術運動に見る事ができるだろう。
さらには、彼らの作品に用いられたオブジェやコラージュといった技法は、
伝統的な習練の積み重ねを必要とせず、「芸術」を技術から解放した。
欧米で誕生したそのような反芸術的世界は、時を経て肥大化し、
近代以降の美術の理想的な姿として強化されていった。
そのような大局的な動向に対して、日本の1950年代~60年代の反芸術的作品は、
様式として一般化したというより、個人の情念的とも言える世界が噴出したような側面を持った。
皮肉にも、そこにダダの精神が生き存えられたのである。
以上のような20世紀美術のある一面を辿ったときに、
「芸術」は「日常」と乖離していなければならないという教条主義的な姿勢が見え隠れする。
それは「日常」というものが封建的な制度の元に醸成されたという暗黙の了解の元、
その網の目から脱するために各個の自立が絶対的な必要条件とされたという図式である。
もちろん、このような解釈を敷衍するならば、ダダイスムのような革命的芸術運動は、
「大きな物語」化すると同時にその役割が終焉する筈であり、
「小さな物語」としての20世紀中頃の日本の反芸術的作品にこそ、
その精神が活きているという筋書きをそこに見ることができる。
しかしながら、20世紀末に社会主義体制が崩れると同時に「ポストモダン」の物語も崩壊し、
「小さな物語」は<マイクロ・ポップ>と称されるような奇貨として我々の目の前に現れることになる。
それは「日常」に融解した芸術であろう。
今回のαMプロジェクトでは、多様な階層の価値観や思想といった形而上的なレベルから、
人々が生きていく中で生み出されてきたあらゆるものまで、
等しく相対的に捉え得るような世界である今日の我々の「日常」を、「芸術」という、
かつて歴史的に存在していた世界観を通じて鮮やかに映しだしてくれる作家たちを集め、
「楽園創造(パラダイス) --芸術と日常の新地平--」というタイトルで1年間のプロジェクトとして始動する。
ここに集う作家たちのさまざまな表現を介しながら、
我々がこれまで見ることの無かった「日常」というパラダイスと出会えることをここに約束しよう。
gallery αM (ギャラリー・アルファエム)
東京都千代田区東神田1-2-11アガタ竹澤ビルB1F
tel:03-5829-9109
URL: http://www.musabi.ac.jp/gallery/