ミヒャエル・テンゲスは1952年、ミュンヘン近郊のプファッフェンホーフェン・アン・デア・イルム生まれ。クレーフェルト造形大学卒業後、1980年から1981年までデュッセルドルフ美術大学でフリッツ・シュベーグラーのもとで学び、現在はレバークーゼンとケルンを拠点に制作活動をおこなっています。
ドイツ、スイス、ベルギー、オランダ、アメリカで発表を重ね、その作品はケルンのコロンバ大司教区美術館や、スイスのアアラウ美術館等に収蔵されています。
昨年の個展では、華やかな色彩にあふれた抽象絵画が大変好評でした。今回展示されるのは、そうした絵画を生み出すためにテンゲスが日頃から行っている古典や近代の名画についての研究の軌跡ともいえる習作群です。
初期ルネサンスからバロック時代のヨーロッパの画家たちの作品には宗教画が多く、通常わたしたちはそれらがどのような場面で、どのような登場人物がいるのか、といった点、題材や主題にのみとらわれがちです。
学術的にも図像学の研究はさかんに行われていますが、こうした画家たちがどのような色彩を使って画面を構成しているのかという問題に関しては、今日まであまり研究がなされていないようです。
しかしながら、制作する画家の立場になってみれば、必ずしも図像学上の約束事にのみ従って画面を構成したはずがないことは容易に想像できます。
例えば受胎告知の場面には、聖母マリア、天使ガブリエルが描かれます。それ以外の登場人物は、画家の裁量に委ねられていますが、ある部分にある色彩を置きたいというただその理由から、その色彩の服をまとった人物を描き込んだ場合もあるはずです。
テンゲスは画集のうえにトレーシング紙を置き、輪郭を鉛筆でなぞったうえでオリジナルと同じ色彩の油絵の具を置いていき、かつての巨匠たちがどのような色使いをしているのかを身をもって追体験します。
こうした作業を通して、どのような色彩がどういう比率で、そしてどのような配置で使用されているのかを研究しているのです。これにより彼は「この色彩を用いているのはこの画家だけである」といったような、ふつう美術史家が気づかない知識を得てきました。
画家ジョセフ・マリオーニは、自身の絵画についてしばしば、自分は聖ヴェロニカの伝説を使っていると話します。ヴェラ Vera はラテン語で「真実」を、そしてエイコン Eikon は古いギリシャ語で「イメージ」を表します。
真実のイメージとは何であるのかが問題です。
いったい「イメージ」は真実になり得るのでしょうか。
私たちが「イメージ」と言った瞬間、それが真実であることは疑わしくなるでしょう。
真のイメージとは、素材(油絵具)が素材以上の何かになるということを意味します。
もし素材が素材のままであったら、私にとってそれは何の意味もありません。
多分それは素敵なデザイン・ピースではあるでしょうが、もしそれが私たちの心に届かなければ、私にとって真実ではありません。
色彩は私たちの心への一番の近道であるとジェリー・ツェニュークは言っています。
私ならこう言います。
私の絵画のなかに色彩が現れたその瞬間、それはちょうど夜の暗闇に閃光が走るがごとくであると。
炎を上げて燃え、燃え尽きる。とても短い瞬間、色彩は現実であり、真実であり、明瞭です。
それは禅の瞑想において現実の幕の後ろにある何かを見た瞬間です。
小さな習作は私にとって、ちょうど私の瞑想のようなものです。 これが絵画を制作する理由です。
何か素敵な絵を作り出すということではありません。
そうした絵もまあ良いでしょう。
しかし、もし私が、色彩が私の心を通して光輝くこの短い瞬間になかなか到達しないとしたら、私はもの足りなく感じます。
そして同時に、それがそこにある瞬間は二度と戻ってこないために悲しくも感じます。
こうして、私はもう30年以上この色彩の道を進もうとしています。しばしば私は間違います。
それでも時々、私はとどまって、真の像を発見することがあります。私のヴェロニカを!
2013年3月 ミヒャエル・テンゲス
今回展示されるジョットーからセザンヌに至る習作は、あくまでテンゲス自身の本来の絵画作品のための予備的な仕事であり、それゆえこれまであまり積極的には発表されてきませんでした。
しかし作家の控えめな態度に反して、これらの習作はなんと魅力的で雄弁なことでしょう。
テンゲスの絵画作品における色彩の配置や構成が決して直観的な思いつきではなく、ヨーロッパの絵画史の延長線上にあることを教えてくれます。ぜひご高覧下さい。
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