現代アートという言葉が流布している昨今、瀧本の肩書の「木彫家」という言葉はどこか懐かしい響きさえ感じさせます。現代アートの表現といえばコンセプトが優先しがちですが、木彫には素材や技術が最も重要な要素となります。木という素材と、彫るという作家の身体が習得した技術によって、彫られた形が現れ、見る者にはその全体が伝えられます。この一連の過程を体感することに懐かしさを覚えるのはなぜでしょうか。
瀧本は、2002年の個展の際にこう述べています。
「『瀧』の作品といって、水を木彫で彫ってもリアリティーがない。瀧をつくることは瀧の形から離れることであり、取り巻く周辺の空気みたいなものをつくること、逆にそれに近づくことではないかと。制作のプロセスでも、空の部分をつくることが最初であって、したがって何も無いところから形をつくっていくということから始まっていくというか・・・」
すべての造形は、<つくること>の結果として何らかの<形>に行きつきます。
しかし、多くのもの見、それらをただ見過ごしてしまうことで、「形」とは「つくること」から始まっているのだということをつい忘れてしまいがちです。
つまり、現代の情報化社会は、美術にかかわらず世界中のありとあらゆる新旧の表現を一目瞭然のものとして目にし、接することができます。しかし、それは表現が<形をつくること>という行為や過程によって導かれているということに、もはや立ちもどれなくなってしまっているかのようでもあります。瀧本が<不定の形>を彫ろうとする理由はそこにあるのかもしれません。瀧本がこだわる木彫の表現形式は、我が國の歴史のなかで神や仏につながる依り代でした。日本の風土(自然と歴史)に培われた素材とつくる人との関係は切っても切れないものでした。
何のために彫る(つくる)のか、彫る(つくる)こととは何なのか? 何を素材にし、どのような道具と技術で形を生みだすのか?
表現のバリエーションは増えても、「つくること」の過程が軽視され、作品の質感そのものが失われつつある今こそ、作品という<形>が包含する聖的な質感をいかに回復するか、その答えを見出そうとすることこそ、現代の私たちに残されている可能性なのかもしれません。
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