1982年神奈川県生まれの高井は、現在東京藝術大学大学院博士課程の油画技法材料研究室に在籍しています。2007年から2008年にかけてドイツ学術交流会(DAAD)奨学生として、ニュルンベルク美術大学に留学、KREIS Galerie(ニュルンベルク/2009)、gallery LVS(ソウル/2010)などで個展を開催したほか、シュパルカッセ銀行(ラウフ/2008)、グスタフアドルフ記念教会(ニュルンベルク/2009)などで開催されたグループショウに参加しています。
色彩の濃淡で描かれた作品は儚く、すべての事物が互いに織りなして溶けあいはじめる直前のような絵画世界を成しています。オートマティスムに近い感覚によって描かれた作品の主題は一貫しており、それを自身の感情すら届かないとても深いところから湧き出ている鼓動に耳を澄ませ、なぞるようにして描いています。風景や静物が描かれた作品は、具象画というよりは穏やかな表現主義的作品であり、そのことはそれぞれの作品につけられたタイトルが固有の事物を指さない記号であることが示しています。本展では100号超の新作2点を含む新作個展の発表となります。
「w2」 2011
キャンバスに油彩
80.3×100cm
「愛と虚無」
私は、日常生活の中から絵画制作の動機を模索している。幼少時代にまで遡る日常風景の記憶が、絵を描く上でのモチーフである。幼い頃、よくスケッチブックと鉛筆を外に持ち出し、庭の植物を写生する事に熱中した。菜の花やスミレなどの草花が陽の光を受けて風に揺れる様子を見つめ、土の上に腰を下ろし時間が経つのを忘れて描き続けた。絵を描く中で感じた草花の存在は、時の流れと共に移ろう生命のはかなさを教えてくれた。
幼年期のこの光景は、現在の制作の立脚点である。そして年月を経た今では、自分自身も移ろいゆく存在であるという立ち位置から絵を描いている。あるいは、限りある時間の中で、掛け替えの無いものを描いているともいえる。
また、生きることと描くことを往来する中で、「愛」と「虚無」というふたつの言葉が不可欠な要素になっている。「愛」という言葉は古くから哲学や宗教、文学により多様に解釈されてきた。表現方法によって陳腐にも崇高にもなり得る、取り留めのないこの言葉の意味を、私は常に「虚無」という概念の裏付けにより模索している。日々当たり前のように繰り返される日常だが、その中に確かな存在と言えるものは何も無い。この手で触れる愛しいものたちは、いつの日か消えて無くなる。人は生まれ、生きて、そして死ぬ。生きることは、言い換えれば「虚無」そのものである。
古代ギリシアの哲学者ヘラクレイトスは、あらゆるものは絶えず生成・消滅・変化していると考え、それら生成・消滅・変化する法則、理法をロゴスと呼んだ。世界を構成する諸事物は、相互回帰的に対立・変化しつつ、バランスを保って存在していると説いたのである。ヘラクレイトスの考察に触れると、私が捉える世界が、約2500年前と同じであることに驚かされる。「神は昼であり夜である。冬であり春である。戦であり平和である。空腹であり満腹である。」とヘラクレイトスは言う。これらの対立矛盾は、まさに生と死においても同じであると考えられる。
いつか消えてしまうのに、人は人を愛してしまう。しかし、生きることの中に愛するという行為があるからこそ、概念でしかない死という言葉の意味を理解できるのではないか。また、死を意識することで、愛するものの存在を実感できるのではないかと考えている。愛があるからこそ、虚無を生きることができるのだ。
絵を描くとき、空や大地や水が光に溶けて、それらの境目が曖昧になっていく透明な世界を想像する。すると、描いているうちに、見えない何かが画面上に表れる。見えるものの中から、見えないものを感じ取ることができる。私は、時の流れとともに消えてしまった風景を、絵の中に生成しているのだと思う。
高井史子
「w3」 2011
キャンバスに油彩
130.3×194cm
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