薄暗い部屋の中うっすらと浮かび上がる一脚の椅子。時を刻むのをやめた柱時計。人の面影をわずかに残す食卓。あたかも現実の風景のように見えるが、実はこれら全てが1/12スケールの模型をもとに制作されている。菅の制作手順は、模型製作、撮影、描画となっているが、菅はこの一連の過程を「念写」という言葉に換言する。
自分以外の誰にも見えないものが見える事、そしてそれを誰もが見える形に表せる事、それはアーティストと呼ばれる人間の職能である。1931年当時、人類の誰も観測出来なかった月の裏側を写したという三田光一の「念写」は、アートと通じるところがあるのではないか。しかし、残念ながら私には念写の力がない。それならば、複数のメディアを横断しながら、「念写」を造形言語で再構築して、キャンバスにイメージを定着させようと思い、現在のシステムを作り上げた。
菅の作品を目の前にすると様々な疑問が浮かぶ。菅にしか見えない世界とはどのような世界なのだろう。菅の描く世界には、人が存在しない。描いた作者の存在さえも感じられない、不可思議で冷徹な映像としての絵画表現。菅はなぜそこまで一見迂遠にも見える手法に固執するのだろうか。
私たちの認識する世界の背景には、常に「死」の存在がある。そしてその「死」のリアリティーを作品化するためには、身体性が介在する「ペインティング」という行為では不可能だと、私は思った。私が探し続けているのは、いわば私自身が死に絶えた後の世界を私自身が描こうとすること。不可能な「ペインティング」を実現するための「ペインティング」なのだ。
菅はもともと緻密な階調表現を得意とするフォトリアリズムでその存在を知られた作家だが、それも写真を忠実に再現する事で、自分自身の身体性を消し去ろうとする試みであったのだろう。作家にとって初の個展となる本展では16枚にもわたる連作「Fictional Scenery」を中心に、YOKOI FINE ARTおよびPLUS二会場にてその世界を展開する。インクジェットプリントとエアブラシ技法を組み合わせて、デジタルデータを支持体に定着させる独自の技法、「念写」。彼の新たな表現の可能性に是非触れてほしい。
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