今日、情報社会の中でアートも様々な表現が濫立している社会そのものを切り取り、ささやかに気付かせるモノもあれば表現者の私的な感情に委ねられる事もある。それらは表現者の選択により決定される。現実社会の中で表現者は遊牧民の様に彷徨う事になる。インターネットにより、コミュニケーションの速度は世界の壁をなくすかに思える。情報やデータは常にリアルタイムに更新され続け、それらを追い続ける事は困難を極める。イメージは氾濫し、もはやオリジナリティを生み出す事は不可能かに思えるが、過去の様々な表現形式の中からハイブリット化し、そこからズレを提示しなければならない。
今日の様なイメージが氾濫するような時代では私性はもはや、他者や社会によって作られている。
何処までが私で何処までが社会によって作られたモノなのか、考え、自問自答しなければならない。
それらの境界線は決して答えはないし、思考し続けなければならない。
何かしらのモノを作る事は、『ある物質』に対してイメージを与える作業である。
モノの表面にイメージが張り付いている限り、そのモノからは事実上、逃れる事は出来ないのである。情報やインターネットによる速度が加速し、なんでもコピー出来てしまうような表象的な現代だからこそ、人はより現実性や身体性を伴ったモノとの対話が必要である。
どんなに社会が高度になっても人間の肉体や欲望は変わらない。それらは過去の歴史に参照出来るように、常に客観性と主観性がギリギリの所で拮抗し、表現者がどのようにそれらの関係性をモノと感情を介して選択し、語る事が出来るかが重要となる。そこからこぼれ落ちてしまった「何か」こそ、見つけなければならないし、自問自答しなければならない、それは表現者にとって未来への伏線になり得るのだろう。
2010 年 大庭大介
〒130-0014 東京都墨田区亀沢1-7-15
アクセス:大江戸線両国駅徒歩1分・JR両国駅徒歩5分
TEL:03-3621-6813
http://gallery-momo.com