アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックは、1864 年、南仏アルビの十字軍の騎士も輩出した名家の長男として生まれました。父、アルフォンス伯は優秀な軍人で、幼いロートレックを趣味の狩猟によく連れていったといいます。幼いときから病弱だったロートレックは、少年時代に両足の大腿骨を折る大けがを負います。その後、ロートレックは、上半身ばかりが発育し下半身は子供のままという特異な容姿となってしまいました。このことは、ロートレックの両親が従兄妹同士であり、家系内での血族結婚が原因とも言われています。更に父のロートレックに対する哀れみは、二人の間に憎しみを生じさせました。
身心共に失墜する生活の中でロートレックを支えたのは絵画制作でした。17 歳で大学受験資格を得たロートレックは、パリで古典的な芸術教育を学びながら、当時の前衛芸術である印象派に影響を受けます。また、22 歳で知り合ったフィンセント・ファン・ゴッホからは日本の浮世絵を紹介され、それまで見たことのない浮世絵の構図、フォルム、色彩に強い衝撃を受けました。展覧会に絵画作品を出品していたロートレックは、27 歳で大きな転換期を迎えることとなります。モンマルトルの人気ダンス・ホール〈ムーラン・ルージュ〉から依頼を受けたポスターがパリの町中に張り出されると、ロートレックはたちまち評判になりました。当時のモンマルトルは様々な階級の人々が楽しめるダンスホールやキャバレー、カフェなどの大衆娯楽の店が鎬しのぎを削り活況を呈していました。ロートレックはその店の踊り子達の熱狂的なエネルギーに魅せられ、そこで生活する人々の喜びや哀切を鋭い眼差しで見つめていたのでした。世紀末モンマルトルの魅力が表現されたロートレックのポスターは、宣伝という枠を超えて芸術作品として評価されたのです。それは時代と共に変化した市民の価値観の象徴ともいえます。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック
《ジプシー女》1899年
今回の展覧会では、国内屈指のポスター作品所蔵美術館として知られるサントリーミュージアム[天保山]より、ロ―トレックのリトグラフによるポスター群をはじめ、クリムトやスタンランといったロートレックと同時代に活躍した芸術家によるポスターなど70 余点が特別出品となります。また展示構成は、「トゥールーズ=ロートレック」、「ロートレックと同時代のポスター画家たち」、そして「ロートレック後のポスター作家たち」の3つの章にてポスター芸術の全貌を紹介します。是非、本展をとおして、20 世紀に新たな芸術を生み出した芸術家たちの洗練されたセンスと情熱を感受して頂ければと思います。
テオフィール・アレクサンドル・スタンラン
《ヴァンジャンヌの殺菌牛乳》1894年
〒969-2701 福島県耶麻郡北塩原村大字桧原字剣ヶ峰109-23
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