「竹虎之図」河鍋暁斎筆 明治21年(1888) 紙本墨画 掛軸 河鍋暁斎記念美術館蔵
本図は、暁斎が明治21年に伊豆田方郡原木村の堀江氏宅で描いた作品。この虎を描きながら暁斎は「昔、虎を描く画家は皆憶測で描いていたが、私は実際に虎を見ているので、古い画家のように憶測で描くはずはありません」と語ったと『河鍋暁斎翁伝』に述べられています。それまでは憶測で描かれていた虎を、実際に見て写生し、数々の作品を残した暁斎の言葉からは、自信と誇りが感じられます。ここに描かれた虎は、隙があればこちらへ飛び出そうとしているのか、今は静かに構えており、確かに真に迫っています。
新年最初の展覧会は今年の干支「寅」にちなみ、暁斎や娘・暁翠の描いた虎図と、おめでたい七福神をご覧いただき、2010年を寿ぐ展示といたしました。
虎は、風のように速く駆けるといわれ、龍とともに神獣として古くから描かれてきました。先人の模写はもちろん、さまざまな角度から動物を写生し、研究してきた暁斎(1831-1889)はその筆力をもって虎をいきいきと描いています。また、娘暁翠(1868-1935)も父親譲りの力強い虎を描いています。
「毘沙門天虎狩之図」河鍋暁翠筆 明治22年(1889) 武川卯之吉板 大判錦絵3枚続 河鍋暁斎記念美術館蔵
明治23年寅年正月用の福神錦絵です。
虎狩りは加藤清正などの武勇伝の代名詞でしたから、七福神のなかでは武神である毘沙門天以外には出来ないでしょう。七福神がはやし立て、朝日に鶴が舞い、地面には小判や宝物がざくざく、と縁起の良いものが散りばめられた、いかにもお正月らしい錦絵です。
第二展示室でご覧いただく七福神は、今でも「家内安全」「商売繁盛」などのご利益を与えると考えられ、幅広い層に信仰され続けています。何より、一般の私たちにとって最も親しみ深い神様といえるのではないでしょうか。暁斎や暁翠も七福神は大変得意とした画題でしたので、趣向をこらした正統派の作品から、デフォルメされた愛らしい七福神までお楽しみいただけることと思います。是非ご高覧ください。
「七福神の宝船 富貴長命」河鍋暁斎筆 歌:万亭応賀/(董仙、印:小古) 大判錦絵 河鍋暁斎記念美術館蔵
七福神、松竹梅、鶴亀など縁起の良いものばかりを乗せた宝船を、色遣いも華やかに描いた画中には「富貴長命」の文字と、句が詠まれています。「心にも眠りさましてわらふらん(万亭応賀)/今朝ふく風のはるの入船 (董仙、印:小古)」
前の句を詠んだのは江戸の戯作者万亭応賀で、後の句の「董仙」は未詳です。
江戸時代には、正月二日の夜に七福神を乗せた宝船の絵を枕の下に敷いて吉夢を占いました。正月の風物詩に、宝船の絵を売り歩く「宝船売り」があり、もし悪夢を見ても、この絵を水に流して厄を払ったそうです。今でも初夢を占いますが、いつ見た夢が初夢になるかは諸説あるようです。
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