臨済宗妙心寺派大本山妙心寺は建武4年(1337)に、花園法皇(1297?1348)が自らの離宮を改めて禅寺としたことに始まる京都の名刹です。禅宗を深く信仰していた法皇が、開山に迎 えた関山慧玄(1277?1360、謚号・無相大師)は、美濃伊深の山里(のちの美濃加茂市正眼寺)で修業していた僧でした。
このたびの展覧会では、妙心寺の歴史を語る名宝の数々と、中部地方に所在する妙心寺派寺院が所蔵する貴重な文化財を紹介いたします。
本展は禅宗が育んだ奥深い文化に触れる絶好の機会です。展覧会会場で禅の世界を体で感じてください。心が穏やかに、静かに、そして真っ白になるかもしれません・・・。
?.妙心寺の開創
花園天皇は仏教に深く帰依し、特に禅宗に強い関心を寄せて、宗峰妙超に師事しました。39歳で出家してからは禅宗信仰に没頭し、宗峰妙超が没した建武4年には、宗峰の弟子の関山慧玄を迎えて妙心寺を創建しました。
関山慧玄は幼くして出家し、鎌倉の建長寺で南浦紹明(大応国師)に師事し、ついで京都の大徳寺で宗峰妙超(大燈国師)について修業 しました。この大応国師から大燈国師、関山慧玄へと受け継がれた法の流れを、「応燈関」の門流と称し、妙心寺では重要視しています。
?.妙心寺派の高僧と文化
関山慧玄以後、妙心寺には次々と高僧が輩出しました。室町時代の中頃には支柱となる四つの分派が作られ、それぞれが多くの弟子を育てて、妙心寺は教団として拡大してゆきます。弟子たちは各地に寺院をひらき、妙心寺派の勢力は拡大の一途をたどりました。
これらの寺院には禅宗独特の仏像が安置されました。中国からもたらされた仏画を所蔵する寺院もありました。室町水墨画の最高峰とされる「瓢鮎図(ひょうねんず)」も、禅の問答の中で生まれた作品です。
江戸時代には白隠慧鶴(1685?1768)があらわれ、禅の教えをわかりやすく説明するために、数多くの禅画を描きました。
国宝 瓢鮎図(部分) 如拙筆 室町時代 京都・退蔵院蔵(展示期間:10月10日?11月1日)
?.戦国武将と妙心寺派寺院
妙心寺派の寺院は戦国武将の支持を得て大いに発展しました。関山慧玄がおこない、代々の弟子たちが実践した、厳しい修行の姿が武将たちをひきつけたのでしょう。
織田信長(1534?82)が沢彦宗恩(??1587)に、今川義元(1519?60)が太原崇孚(1496?1555)に、徳川家康が(1542?1616)が鉄山宗鈍に帰依したことはよく知られています。
武将たちは禅僧を精神的なよりどころとして慕い、また幅広い知識人としての技量に期待したのでした。
?.ゆかりの名宝
妙心寺は応仁の乱で炎上したのちに、細川勝元・政元父子によって復興しました。その後、戦国大名たちによって、塔頭(たっちゅう)が次々に創建されました。これらの室内を飾る襖絵や屏風は、当時の一流の画家によって描かれました。狩野元信が四季の花鳥を描いた襖絵や、 龍と虎を大胆に配した狩野山楽筆の屏風など、見応え十分です。
中部地方の妙心寺派寺院が所蔵する、当地にゆかりの画家による襖絵や天井絵なども見事で、その迫力に圧倒されてしまいます。
重要文化財 釈迦如来坐像 鎌倉時代?南北朝時代 愛知・国分寺蔵
〒467-0806 愛知県名古屋市瑞穂区瑞穂通1-27-1
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