今から100年前の1909(明治42)年、渡仏間もなくルノワールの作品に魅了された20歳の梅原龍三郎は、ルノワールの住む南仏カーニュのコレット荘を訪ねました。紹介状も持たずに訪ねてきた若き梅原を、老齢のルノワールは温かく迎え入れ、以後交流が続きます。
ルノワールは梅原の絵を見て、「君は色彩を持つ」と画家としての素質を評価しました。また、「何でも手あたり次第に寫生せよ」と自然を見ることの重要性を説きました。梅原が自らの近作≪モレー風景≫を見せ、この作品の出来に満足しないことを伝えると、ルノワールは彼を写生旅行に誘いました。ルノワールとともにパリ近郊シャビルに滞在した梅原は、自らの制作こそ進まなかったものの、ルノワールが描く様子を目の当たりにして多くを学びました。
オーギュスト・ルノワール≪横になった婦人≫1912(明治45・大正元)年、財団法人上原近代美術館蔵
ルノワールに師事し、5年間のフランス滞在を終えて帰国した梅原は、大和絵や琳派など日本美術の装飾性を取り入れて独自の芸術を展開していきます。しかし、そうした様式の中にもルノワールの教えが息づいていると言えるでしょう。梅原が後年描き出した≪薔薇図≫や≪カンヌ≫には、豊かな色彩感覚や徹底した自然観察にルノワールの影響を見出すことができます。また、若き日に魅せられたルノワール≪パリスの審判≫に晩年再会を果たした梅原は、模倣ではない独自の様式でその模写を試みました。
梅原龍三郎とルノワールの出会いから100年を記念した本展では、「梅原龍三郎とルノワール―出会いと交流」、「風景―きらめく光と色彩」、 「薔薇と静物―生命の輝き」、「梅原芸術に息づくルノワール」の4つの章からその芸術を紹介、また書簡などの資料から彼らの交流や影響を探ります。梅原龍三郎とルノワール、二人の画家が生みだす豊かな色彩の魅力をお楽しみいただけます。
梅原龍三郎≪パリー女(ボンネット)≫1909(明治42)年、個人蔵
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