川中島合戦で熾烈な戦いを繰り広げた、宿命のライバル武田信玄と上杉謙信。史上最も並び称される武将である二人が亡き後、越後では、謙信の養子の上杉景勝が命運を握りました。それを支えたのが、上杉家の家老でありながら、秀吉からその才気と人間性を惚れ込まれた男・直江兼続(1560?1619)です。
兼続は智勇兼備の名将といわれ、その時代の全国の武将たちと交わりながら、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての歴史を実質上動かしていきます。豊臣秀吉からは高く評価され、徳川家康からはその存在を恐れられ、家康と兼続のやり取りが天下分け目の関ケ原合戦の引き金になったと伝えられています。この兼続や主君・景勝を中心に、彼らと交わった全国の戦国武将の人生や時代を描いたのが、現在放送中の2009年NHK大河ドラマ『天地人』です。
本展は、このNHK大河ドラマ『天地人』と連動するもので、直江兼続をはじめとした武将たちゆかりの品々や、華麗な桃山文化などの文物を国宝・重要文化財を含む作品で紹介します。「義」と「愛」を掲げ、兼続が生きた激動の時代を体感できる展覧会です。
金茶糸威最上胴具足(伝直江兼続所用)
桃山時代 16世紀
上杉神社蔵
(展示期間:5月30日?6月22日)
【展覧会構成】
第一部 直江兼続の生涯
直江兼続は永禄3年(1560)、越後国上田庄で樋口兼豊の子として生まれました。この年には織田信長が今川義元を桶狭間で破り、翌年には武田信玄と上杉謙信が川中島で激突。上杉謙信の死後、上杉景勝・兼続の主従は、後継者の座をめぐる争い御館の乱(1578)を制し、越後・佐渡を統一に導きます。兼続は景勝政権の中枢部で活動し、豊臣秀吉による全国統一を推進する立場として活躍します。景勝は豊臣政権下で五大老の地位となりますが、秀吉の死後に家康と対立し、関ケ原合戦(1600)後に米沢へ移封となります。兼続は上杉家を守るために奔走、そして元和5年(1619)にその生涯を閉じます。
第一部では、直江兼続の生涯について上杉家ゆかりの品々と歴史資料などを交えて紹介します。
第二部 直江兼続の時代と文化
直江兼続が活躍した時代は、信長、秀吉、家康と続く天下統一への歴史と重なり合っています。群雄割拠した各地の城郭に描かれた障屏画や武器・武具の装飾には覇気に富む武将の好みが反映しています。一方、上杉家に伝わった「洛中洛外図屏風」に代表される近世初期風俗画は、都を中心として闊達でおおらかに生きる当時の人々の姿を今に伝えています。
また兼続は、漢詩文をたしなみ、五山の禅僧とも活発に交流しました。とくに収集した漢籍や残された連歌からは、学芸を好んだ兼続の人となりを知ることができます。そして千利休が大成した茶の湯や、能の世界、さらには宴を彩った調度品の数々も、兼続と時代を共に生きた人々の美意識を物語る分野として興味尽きません。
第二部では、文武両道の典型と評される兼続が深くかかわった桃山時代の文化を、選りすぐりの絵画や貴重な漢籍、華麗な工芸作品で紹介します。
国宝
上杉本洛中洛外図屏風(右隻)
狩野永徳
室町時代 16世紀
米沢市上杉博物館蔵
(展示期間:6月27日?7月12日)
〒107-8643 東京都港区赤坂9-7-4 東京ミッドタウンガレリア3F
TEL:03-3479-8600
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