1886(明治19)年、現在の和歌山県田辺市に生まれた原勝四郎(はら・かつしろう)は、東京美術学校や東京音楽学校など東京遊学の後、欧州を放浪、そして田辺に戻り、1964(昭和39)年に78歳で亡くなるまで、田辺と隣町の白浜を離れることなく過ごしました。
戦前は二科会、戦後は二紀会に作品を発表し続けましたが、本質的には中央画壇とは関わりなく、自らの生活に根付いた絵画を描き続けた画家でした。
《道化》(1941)油彩・ 厚紙
勝四郎は、呉服屋「堅円」を営む、父円七(えんしち)、母玉(たま)の四男として生まれました。
兄保吉(やすきち)、弟愛造(あいぞう)も画家を目指していました。
家庭の事情によって、学業を中途で終え郷里に戻らねばならなくなったり、決死の覚悟でヨーロッパに向かったにもかかわらず、絵画の勉強はほとんどできないままに帰国しなければなりませんでした。
経済的理由で自らの希望が幾たびもないがしろにされましたが、しかし彼は絵をやめようとはせず、身近な風景や人物を描き続けました。
彼を画家たらしめたのは、郷里の風景であり、家族と、そして親しい人々でした。
この展覧会では、自由奔放に見える原勝四郎の絵画から、彼のような画家を育てた時代と場所について考え、戦後の日本が辿る経済至上主義によって、その過程で失ったものに思い巡らせ、現在の日本を問い直す機会にしたいと思います。
《婦人像》(1953)油彩・ 厚紙
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