田中はこれまで、自身の抽象表現の追究のため、キャンバス、壁画、ドローイング等、多岐にわたる制作において、時に即興、偶然などに筆を任せてその独自性を深めてきました。
具象的絵画が主流となっている昨今の状況の中にあって、揺らぐ事なく抽象表現を続けてきた田中の足跡は注目するに値します。
ライブペインティングのように「早く描ける」手法に慣れ親しんできた事は、やり直しの利かない条件下で描くという技術面の確実性に留まらず、現に彼のキャンバス上に繰り広げられている、普通では考えも付かないような色彩と構成の斬新さを生む大きな要因となっています。
また、田中の絵画に特徴的であるリズム感のある線の動きや重層的な画面構成においては、例えばグラフィックで言う所のレイヤーや音楽のサンプリングの概念を援用し、描くというよりはレイアウトし、構築していく感覚に近いとも言えます。
即興性とスピードが要求されるライブペインティングの経験の蓄積とそれは不可分の関係であると言えます。
表面上、ポロック始め近現代の抽象表現から果ては街中のグラフィティまで、田中の作品に通ずる要素を見つけ出すことは容易に出来ます。
しかし、田中の作品にあってそれらにないものは前述のレイヤーの概念でありサンプリングの構造にあります。
それは、ただ連続的に色彩を重ねるだけではなく一度整った画面上に全く別の絵を描くように重ね合わせる、ということであり、あるいは既にある何らかのモチーフを、半ば強引に画面の中に描き込むことであり、つまりはイマジネーションと制作のプロセス上において作家自身とキャンバスの間に常に断絶が伴うという点にあります。
田中の作品が構成的な印象でありながらも揺らぐような不規則性を併せ持っているのは、このプロセスの断絶によって、なおかつそれをメタ的にコントロールすることによって、自覚的に主観を滅していることに起因していると言えます。
田中は自分の記憶や感情を描くのだと言います。
溜め込んだ記憶やそれに付随する過去のある時点の感情は、時を経て次第に鮮明さを失い、リアリティーを失っていきます。
しかし、いかに曖昧であろうともいつまでも痼りのように実感が残り続けます。
つまり記憶や感情を描くという事はリアリティーの再現であると同意に曖昧なものと化した現時点のそれらを受け入れる事でもあります。
田中の作品を前にして、視線が捉え所を失い右往左往するのであれば、その彷徨する視覚の先に、やはり田中自身の曖昧な記憶や感情が浮き足立っているのでしょう。
描いては止め、終えては変える、断絶を繰り返しながら画面を構築していく事で、真っ向からではいかに望んでも捉まえる事の出来ない曖昧なものにもいつしか近付くのかも知れず、田中自身にとっての抽象表現の到達点もそこに在るのかもしれません。
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