今から3000年以上前の中国で焼かれはじめた青磁は、水色から緑色まで「青」という一文字にはおさまりきらない様々な色彩を生みだしました。
一方、中国・元時代の14世紀にあらわれた白地に青の文様を描く青花(せいか=染付)は急速に台頭して、その後の陶磁器の主流を占めていきます。
長い歳月をかけて完成した穏やかで深みのある青磁と、陶磁器の歴史からみればわずかな期間に大発展を遂げた鮮やかな染付。
いずれも、発祥の地である中国のみならず、西はヨーロッパから東は日本まで、広く深く文化に影響したやきものです。
今展示では、青磁と染付それぞれの誕生と展開・色の違いなどを、当館の所蔵品の中から展観いたします。
▼入館料
一般 1,000円 (800円)
高大生 700円 (500円)
小中生 400円 (200円)
※( ) 内は20名以上の団体料金
▼展示詳細
青磁
鉄を呈色剤とした釉薬をかけて還元焼成(窯内に酸素が不足した状態で焼成)し、青~緑に発色したやきものが青磁です。中国では雨上がりの青空―〈雨過天青〉(うかてんせい)を理想の色として、窯ごとに、また時代ごとに色を変え、朝鮮半島や日本においては青磁への独自の加飾が行なわれるようになります。
■中国・龍泉窯(りゅうせんよう)の青磁 (元時代・14世紀)
紀元前の〈原始青磁〉時代からおよそ2000年を経て大成した青磁。宋~元時代(10世紀中葉~14世紀中葉)には多くの窯で青磁が焼かれました。中でも龍泉窯の製品は、貿易によって日本にも数多くもたらされています。
青磁 瓶 〔龍泉窯 元時代(14世紀) 高27.6cm 口径7.1cm 高台径8.4cm〕
玉壺春(ぎょっこしゅん)と通称する下ぶくれ形の瓶に、緑味を帯びた青磁釉がかかる。無釉とした畳付(たたみつき)は褐色を呈する。形、釉調ともに完成度の高い龍泉窯(りゅうせんよう)最盛期の傑作である。芸州浅野家旧蔵。
■朝鮮半島の青磁象嵌(ぞうがん) (高麗時代・1269年)
朝鮮半島では、高麗時代(918-1392年)に〈翡色〉(ひしょく)と讃えられる青緑色の青磁が完成し、中国の影響を受けつつも、青磁の下に鉄顔料で絵を描く青磁鉄絵や、化粧土を嵌め込む青磁象嵌など独自の技術が発展しました。特に焼成時の収縮率が違う土を組み合わせる青磁象嵌には、高麗の技術の高さがうかがえます。
青磁象嵌 蒲柳水禽文 鉢 〔高麗時代(1269年) 高8.5cm 口径18.5×18.9cm 底径6.0cm〕
柳や葦、水鳥を描く文様を蒲柳(ほりゅう)水禽(すいきん)文(もん)という。見込中心に「己巳」の銘を記し、立ち上がり部分には蒲柳水禽文を、外側には連弁文と菊唐草文を象嵌で描いた青磁象嵌の鉢。干支の己巳銘が示すのは1269年と考えられており、日本では鎌倉時代にあたる。干支銘のある作例はいくつかあり、作られた時代を特定できることからも資料的に非常に貴重である。
■日本・伊万里焼の青磁染付 (江戸時代・17世紀後半)
日本では、磁器の始まりである17世紀前期の初期伊万里から青磁が焼かれています。作られたのは主に瓶や、皿などの食器類で、17世紀中葉には青磁と染付を併用する青磁染付の技術が生まれて独自の発展を見せています。
青磁染付 朝顔文 葉形三足皿〔伊万里 江戸時代(17世紀後半) 高5.8cm 口径22.2cm 底径13.4cm〕
口縁に枝を付け、三つの足と銹釉を塗った蛇の目高台を持つ葉形の七寸皿。見込の染付の色調が青磁釉と透明釉の部分で異なり、朝顔が浮かび上がるような効果を見せる。
■日本・鍋島焼の青磁(江戸時代・17世紀末~18世紀初期)
将軍家などへの献上品として焼かれた鍋島焼では、純白の素地に青緑色の釉薬をむらなく掛けた上質の青磁が作られました。彫り文様によって青磁釉の薄くなったところは白い素地が透けて、文様が浮かび上がって見えます。
青磁 桔梗口双耳瓶〔鍋島 江戸時代(17世紀末~18世紀初) 高28.1cm 口径10.8cm 高台径9.7cm〕
桔梗の花をかたどった口縁を持つ瓶。幾何学形に作った獣耳は、中国清時代の作例を彷彿とさせる。中国の青磁は古くから日本にも多く渡来し愛好されており、日本でも江戸時代以降それに倣って生産されるが、とりわけ鍋島の青磁は藩窯という性格のため品格が高い。白胎のため明るい釉色に仕上がっている。
染付(青花)
白磁胎にコバルトを含む顔料〈呉須〉(ごす)で文様を描き、透明の釉薬を掛けて1300-1350度で焼成したやきものを青花(せいか)、または染付(そめつけ)といいます。青い文様を意味する〈青花〉は中国での呼称で、日本では藍染めに見たてて〈染付〉と呼びます。14世紀に景徳鎮窯(けいとくちんよう)で完成した青花は、景徳鎮を中国最大の窯業地にしていきました。
朝鮮半島と日本でも、それぞれに特色ある文様が描かれたやきものが作られました。
■中国・景徳鎮窯の青花 (元時代・14世紀)
元時代(1279-1368年)、景徳鎮窯の真っ白い白磁に中近東で産出するコバルト顔料で文様を描いたやきもの、青花が誕生しました。貿易陶磁として始まった青花が宮廷でも使われるようになるのは明時代(1368-1661年)。明時代初期には宮廷用のうつわを作る官窯も成立します。
青花 唐草文 稜花盤 〔景徳鎮窯 元時代(14世紀) 高8.5cm 口径46.3cm 高台径24.7cm〕
文様の地となる部分にコバルトを塗りつめて白抜きの文様を表わした盤。口縁は白地に青花で波濤文、白抜きで牡丹唐草文、見込中央に八宝文を、各文様帯に分けて描き、その上に色調の違うコバルトで吹墨風な斑文を散らしている。花唐草文の外部に表わされた如意頭繋(にょいがしらつなぎ)の白抜文様が、微妙なアクセントとなって文様を引き締めている。
■朝鮮半島の青花 (朝鮮王朝時代・18-19世紀)
朝鮮王朝時代(1392-1910年)に、中国(明~清王朝)から輸入される顔料を使って青花が作られました。豊臣秀吉の朝鮮出兵による戦乱や、中国との外交関係の影響による顔料不足などを経つつも、大らかで飄逸な独自の作風をうちたてています。
青花 雲龍文 壺 〔朝鮮王朝時代(18~19世紀)高39.3cm 口径12.5cm 底径13.9cm〕
胴に主文様として宝珠を追う四爪の龍を、下部には草の葉のような文様を描いた壺。胴体の中央には胴継ぎ※の跡がはっきり現れており、上体は少し傾いでいる。頸を垂直に立ち上げた胴長の形は朝鮮の壺に多く見られる。高台には窯内に敷いてあった砂が付着している。
※胴継ぎ...壺や瓶などの器の上と下の部分を別々に成形してつなげる技法。
■日本・伊万里焼の染付 (江戸時代・17世紀後半)
17世紀前期に朝鮮人陶工の手で始まった日本の染付は、大らかな初期伊万里、17世紀中葉から18世紀初期にかけて作られたいわゆる藍九谷や藍柿右衛門といわれる上手の作品群、江戸の暮らしを彩った唐草文様の食器類など、同じ青の文様でも時代の求めに応じて変化していきます。
染付 獅子牡丹唐草文 水指〔伊万里 江戸時代(17世紀後半)高16.6cm 口径818.4cm 高台径14.7cm〕
垂直に立ち上がった器形の水指。牡丹唐草が美しく咲き誇っている様子が、器面いっぱいに絵付けされており、その中に躍動感溢れる唐獅子が4頭遊んでいる。絵柄は非常に繊細に描かれており、余白の白地と呉須の濃淡が素晴らしく、優美な印象を与えている。「藍柿右衛門」と呼ばれる作品の中でも上手の作品である。
■日本・鍋島焼の染付 (江戸時代・17世紀末-18世紀初)
日本磁器の最高峰といわれる鍋島焼でも多くの染付が作られました。将軍家へ献上するために鍋島藩直営の窯で焼かれた鍋島焼には、むらのない濃染(だみぞめ)や丁寧な線描きによって、斬新な文様が描かれています。
染付 竹文 皿〔鍋島 江戸時代(17世紀末~18世紀初)高5.6cm 口径20.2cm 高台径10.8cm〕
内面の左方に竹の幹を二本、白抜きであらわし、濃い色調の染付で枝、葉を描き、あとは淡い調子の染付で塗りつめて薄瑠璃(うするり)地としている。白地に残す空間とは異なり、薄瑠璃地の大きな空間には幽寂な雰囲気が漂い、余韻の残る文様に仕上がっている。外壁は花唐草文を三面に配し、高台は櫛目(くしめ)文をあらわしている。
▼列品解説
展示期間中、第2週・第4週の水曜日と土曜日に、当館学芸員による列品解説を行ないます。
予約は不要です。入館券をお求めの上、ご自由にご参加ください。
【水曜日 午後2時から】
10月8日・22日、11月12日・26日、12月10日・24日
【土曜日 午前11時から】
10月11日・25日、11月15日・29日、12月13日
戸栗美術館
東京都渋谷区松濤1-11-3
TEL:03-3465-0070