「Cells -branches in winter-」 2005年 122×122cm
▼アーティスト コメント
私は、人間を含むすべての自然物は一種の共通した構造形態を持ち、それぞれが分子や原子として等しい価値を持って存在していると思っている。
森の中で周りの木々を見上げるとき、私にはそれらが一体となって、なにか生き物がうごめいているかのように感じられることがある。自分はその生き物に包まれているような、またさらにはその大きな生き物の一部として、細胞やもっと小さな分子・原子の一つになったような感覚。このような感覚に、私は何度か陥ったことがある。
私が度々受けるこの非現実的な感覚は、その時自分が森の中で感じる現実的な感覚と、記憶の中にある過去のある重大な時期に得た別の感覚、もしくはもっと別の生物的な存在に関係する記憶のようなものとが重なり合い、増幅された状態で引き起こされるのではないだろうか。
私は人間の記憶という記録作業が成長段階のいつ頃から始まっているのか知らない。研究者の研究結果や実験の結果を確かな知識として持っているわけでもない。しかしその人間の記憶というものについて私のあやふやな知識をもとに考えている事がある。
人間に備わっている視覚や聴覚など五つの感覚をつかさどる五官と呼ばれる器官は、人間が母体から産まれてくる前の胎児の状態ですでに発達を始めていると聞いたことがある。それそれの感覚器官がそれぞれ成長のどの段階から発達していくのかは知らないが、人間が母体の中で胎児として存在している時、それらの感覚器官を通して得られた感覚は、人間としての最初の記憶として体内に記録されるのではないだろうかと思っている。
また、生物はその自己のDNA の中にその生物として存在するための情報と個々であるための情報が記録されていると聞く。これらの情報は、さまざまな場面で生物の存在を支配しているようである。私は、人間が一つの細胞から分裂を繰り返し成長を続ける間に、一通りの生物進化の過程をたどるかのような成長をすると聞いた事がある。もしこの事が事実ならば、人間の遺伝子の中に生物として進化してきた過程の記録が確実に残されているのではないだろうか。そしてその記録の中には、自然物としてのある共通した情報が含まれていて、その情報は人間を自然の中で確固たる一つの生物として存在させる事に、大きな影響力を持っているはずであると思っている。
さまざまな植物や動物などの人間とは違う別種の生物や、岩、空気、水などのすべての自然物の間に身を置く時、体内に記録された生物として存在するための情報が、人間自らを自然のある一部分として同一化させ、その遺伝子として体内に残る自然物としての記憶は、人間は小さな一個の原子というレベルで他の自然物と等しい存在であるという感覚を蘇らせるのではないだろうか。
原田隆 プロフィール
新生堂
〒107-0062 東京都港区南青山5-4-30