新進気鋭の写真家 12名によるリレー個展
プロデュース:高橋周平(多摩美術大学教授)
企画・監修:大野純一(株式会社総合メディア研究所STING代表取締役)
photalk フォトーク
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白い光と、絵画と写真の間に張り巡らされた見えない水路。
写真評論家/多摩美術大学教授 高橋周平
写真と絵画を巡るいくつかの暗喩。登場人物がみな白い光を見つめている土田祐介の作品「display」には、絵画と写真の間に張り巡らされた見えない水路の存在を想像させる。
ディスプレイの発する白い光。厳密にはこの光は青味がかっているのだと思うが、土田は存在感のある「白」として描いた。
思い出すのは、17世紀オランダが生んだ画家フェルメールのことだ。ぼんやりと弱々しい北の光。女性の白い肌に柔らかく反射し、拡散しながらもう一度肌に吸い込まれる。その様をキャンバスにとらえようとした天才である。フェルメールの甘い乳白色の光は、21世紀、わたしたちの時代には、どんな光に例えられるのだろう。わたしたちは様々な光に満たされて暮らしている。けれども、安息の場に帰りつき、社会性を捨て個に立ち戻ったとき、わたしたちはコンピュータや携帯電話やテレビのディスプレイが発する白い光を見つめている。その時間を誰もが持っている。わたしたちの時代の光は、このゆらぎなく均質な白い光なのだということを、土田は突き止めたのである。
もうひとつ、彼の写真を特徴づけている「フリージング」の感覚にも触れておきたい。被写体には若者、上の世代の人、様々な人が選ばれている。彼らは皆自分の居場所にいる。そして白い光を見つめながら、まんじりとも動かない。4X5カメラが白い光に浮かび上がった情景のあらゆるディテールを追いかけ描写する。 微細なディテールの中で時間が凍り付いた感覚。ここにも絵画的なものを感じるのだ。
ドキュメンタリー(今起こっている出来事)とステージド・フォト(演出され構築された写真表現)のほどよく不思議な融合が、土田の写真にはある。表現はメディア的には写真そのものなのだが、表現のために時間がかかるのは絵画的であり、また光そのものを追いかける土田の姿は、写真家、画家という表現のカテゴリーを超えている。土田は、この作品を通じて、大きな発見をしてしまったのではないか。
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