"Year 2.May.2.",2007,51x 41cm,Light,Oil,Dye Destrucyion Print
「フォトジェニック」のトポス
「フォトジェニック」という言葉がある。
今日では「写真写りがよい」というような意味に用いられるが、その原点は19世紀半ば、約170年前の写真の発明に遡る。
英国人の写真発明者、フォックス・タルボットは、自らの発明について「光によって生み出された」という意味で「フォトジェニック」という言葉を使った。
つまり、「写真」とは「光によって生み出された画」である。
同国人であるファビアン・ミラーは、この原初的な意味での「フォトジェニック」の美の崇高と驚異を喚起させる作品を産み続けてきた作家である。
ミラーは、1970年代半ばまでは写真家としてカメラを用いた作品を発表していたが、1980年代に入ってカメラを用いずに、光を感じる物質が塗布された印画紙に直接、独自の手法で像を定着させる作品に専念してきた。
ところで、この方法自体は、芸術の旧態を打ち破り革新する意志に満ちた20世紀初頭のモダニズム芸術運動のなかで、まさに写真の革新という文脈で再発見された…モホイ=ナジのフォトグラム、あるいはマン・レイのレイヨグラフ。
特筆すべきは、ミラーの仕事は、原理的にはこれらと同じでありながらもモダニズムの潮流とは異なる次元を切り開いたということである。
タルボットは、自らの写真術を啓蒙する書を『自然の鉛筆』と名付けたが、その系譜に連なるミラーは、常に「自然」という次元に自らの創造行為を接続しながら制作している点でモダニズムの「光の画」とは決定的に異なる。
一見、抽象的に見えるミラーの「光の画」だが、そこには作家が日々、生を営むなかで感じ取られ、彼の心に記憶として蓄えられたさまざまな表情を見せる自然の光への通路が開かれている。
ミラーの言葉を引用しよう。
「私は昨日、太陽の光が教会の床のグラナイトに落ち、白い百合に届いていたことを思い出す。
その瞬間を思い出しながら、私が愛でるそれらの出来事が、ある種の感情を私に喚起する。
(暗室の)暗闇のなかで、私はその感覚を思い起こし、それを光だけで実現する方法を探るのだ」
(OBSERVANCES展[1995]でのミラーの文章より)
自然との深い関わりのなかで看取される光の豊かさが、ミラーという芸術家をとおして「光の画」に転じる。
その画は、暗闇で作り出されるが、閉ざされているのではなく、常に光の宇宙へと開かれている。
ミラーの作品が私たちの心の琴線に触れるのは、その光がなにか普遍的なものへと通じているからなのである。
(深川雅文 川崎市市民ミュージアム学芸員)
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