EXHIBITION | TOKYO
大竹利絵子(Rieko Otake)
「あなたはどこから来たの?」
<会期> 2021年11月27日 (土) – 12月25日 (土)
<会場> TOMIO KOYAMA GALLERY
<営業時間> 11:00-19:00 日月祝休
この度小山登美夫ギャラリーでは、大竹利絵子展「あなたはどこから来たの?」を開催いたします。本展は作家にとって6年ぶりの個展となり、新作を含めた木彫およそ15点を発表します。
大竹は樟や檜、桂などを用い、彩色しない、素木仕上げの木彫作品を制作してきました。作品のモチーフは少女や鳥、動物が多く、すっと立つ凜とした姿勢や無表情ながらも深遠な強い眼差しは、まるで霊性をもつかのような神秘的な存在感を立ち表します。
【大竹作品について ー 儚い中の強さ、「近いようで遠い、捉えきれない存在」】
彼女は自身の制作に関して、「近いようで遠い、捉えきれない存在であることに引かれる」「かたちで意味を説明するのでなく、かたちから作品の世界を広げていけたら」と言います。またモチーフとして鳥を選ぶ理由は、鳥が「空を見上げれば飛んでいて身近だけれど、遠い」存在であることを述べています。
そこから見えてくるのは、大竹が表面的な人らしさや鳥らしさの表現にとどまるのではなく、人の人であるところのもの、鳥の鳥であるところのもの、といった儚い中にある強い存在性を、木の中から掬いあげてみせている、ということです。
また作品に近づくと、繊細な表現ながらも思いの外勢いのある荒々しい削りに気づきます。それは大竹が繰り返し彫るリズムや、自然物である本来の木の表情、美しさを大切にしている証しであり、木そのものの存在をも引き立たせているのです。
そして、あらわされる鳥や動物、人は、どちらか、なにかに依存する、という主客の関係でなく、それぞれが自立しながら共存し、お互いを感じあっているかのようです。
その大竹作品の表現、とくに過去の作品「とりとり」に関して、美術評論家の峯村敏明氏は次のように評しています。
「『とりとり』は『鳥取り』なのではあるまい。鳥を抱く人、鳥に取りつく人、鳥と共に天翔る人とは、どちらも『拠る存在者』と『拠られる存在者』の弁別的共在を示しているのであって、その関係項としての鳥と人はともに「とり」なのである。」
(峯村敏明「止まり木が鳥でもあるような—大竹利絵子の木彫に寄せて—」、大竹利絵子 個展カタログ『Rieko Otake Dreamlike』、小山登美夫ギャラリー、2009年)
観るものは、一見モチーフがリアルにうつし出されているようでいて、実はいままで見たことのないその自立した凜とした姿と空気感を感じとるでしょう。
【本展の新作に関してー存在の不確かさ、いずれ消えゆく身体や意識への想い】
今回の新作は、5年前より着手し、制作されました。犬に似た人、顔が人のフクロウに似た鳥、人形のようなだれか、少女の横にくっつきながら浮かんでいるもう一人の小さな女の子など。実際の人や動物より大きかったり小さかったり、よりその表面的な「らしさ」を超えた、真実と虚構の相反するイメージがだぶり、ずれて現れ、観る人の想像力を掻き立てます。
大竹は本展、および本展タイトル「あなたはどこから来たの?」に関して、次のように述べています。
「出会ってしまった時の衝撃を見る人にも感じてもらえるような作品がつくりたいです。制作はその状態に導くための時間と言えます」
「自分を含め、いずれ消えゆく身体や意識への想いが、彫刻を扱う上で重なっていったように思います。それらは永遠ではないということを受け入れた上で、彫刻という表現で何を残すことができるかが自分への課題なのかもしれません。」
それぞれの作品は、いつなのか、どこなのか、誰なのか、どこが軸になっているのかわからないような時の経過や情景を内包し、鑑賞者はその夢や記憶のような不思議な作品世界に引き込まれるでしょう。
そしてそこに表されているのは、繊細さと強さ、不安定さと揺るぎなさ、現実と想像性といった両義性を合わせ持った、「存在の不確かさ」とも言えるかもしれません。
大竹は大学在学中、直感的に木彫の触覚的な魅力に取りつかれたと言います。実際には触っていないけれど、体で触るような、触覚的に感じているような立体作品。
「近いようで遠い、捉えきれない存在」としての作品を、大竹は制作し続けています。
大竹の最新の世界観をご覧に、ぜひお越しくださいませ。
TOMIO KOYAMA GALLERY(小山登美夫ギャラリー)
http://tomiokoyamagallery.com/
東京都港区六本木6-5-24 complex665 2F
tel:03-6434-7225