EXHIBITION | TOKYO
菅木志雄(Kishio Suga)
「志向する界景」
<会期> 2015年11月14日(土)- 12月26日(土)
<会場> TOMIO KOYAMA GALLERY
<営業時間> 11:00-19:00 日月祝休
菅木志雄は、1960年代終わりから70年代にかけて日本で活動した「もの派」と呼ばれる潮流の代表的作家のひとりであり、以降もその思考を深化させながら、一貫して独自な制作を続けています。多摩美術大学で教鞭をとっていた斎藤義重に学んだ菅は、木材や、石、金属片、ガラス板などの素材を自在に操り、それらを時に融和させ、時に対峙させながら空間に配置し作品を構成します。また、ものを単独で存在させるのではなく、「もの」と「場」、「もの」と「もの」が相互に依存し合う「連関性」や「差異」、「複雑性」や「複合性」を表出させる事で、展示空間を活性化し、ものの存在をより一層際立たせます。
タイトルは作家自身の漢字の造語(作品制作のコンセプトを表す)によってつけられ、彼がコンセプトを重視するアーティストであることを示します。しかし、他のコンセプチュアルアーティストと菅が違うのは、菅が「もの」を単なる「個体」、または人間の主観によって意味を与えられた「客体」と見るのではなく、むしろ独自の論理と方向性と、人の反応さえ取り込んだ厚みのある、現代性、現代性をもつ存在として捉えられており、アーティストの役割はそれを聞きとることだ、と考えていることです。作家は数ある本人のテキストやインタビューの中で、「もの」に潜在的に備わっている〈見えざるもの〉を〈見る〉という言い方を繰り返し用いています。こうした菅の言説は、もの派の概念に太い骨格を与えました。菅は、制作に至る前の段階としての、この〈見る〉という行為に、多くの時間を費やします。菅の言葉に以下のようなものがあります。
「目に〈見えない〉部分も〈素材〉と呼べるのではないかと思えるのです(中略)…
目に〈見えない〉〈素材〉とは何なのかというと、それはまず思考・意識
-モノをつくるための- がひとつあげられます。」
(菅木志雄、「対話篇-菅木志雄展)カタログ、山口県立美術館、1998年)
「ただ、あまりに人の造形意識だけを先行させると、逆に内容が弱まるのも知っている。
あるところまでは、思考理念的にやっても、ここと思うところでは、
もののリアリティーにまかせたほうがうまくいく。
これは、モノをつくる時間プロセスの中で、思考理念はものへ移行して消滅していき、
かわりに物と物の実体観が中心になるからである。」
(菅木志雄『個の「多性」』、菅木志雄-カタログ、小山登美夫ギャラリー、東京画廊、2006年)
このように、直接的に素材に働きかける制作行為を伴いながら、〈見えない〉〈素材〉としての思考、意識をいかに素材の形に転換するか、という丁寧な推敲を繰り返します。こうして、最終的に作品は、純度の高い形を得るのです。菅の作品は、この独自の構造や制作手法によって45年以上の長きにわたり一貫して継続されています。現在における菅作品の意義について、東京現代美術館チーフキュレーターの長谷川祐子と、美術評論家の松井みどりは次のように語ります。
「菅作品によってもたらされる変化は、周囲を取り巻くもののすべ手が世界を構築している限りなく重要で必然的な要素に見えてくる事である。物質の本来の意味や機能は脱構築され、ものが自分の知覚めざしてアフォードしてくる状態を感じされるようになる。自分が動物であり、この近くの恩恵の中で世界とかくも繋がっている-その祝福された姿を私たちは再確認する。菅作品を、現在体験する事の意味はそこにある。」
(長谷川祐子「菅木志雄論」、『菅木志雄 置かれた潜在性』、東京都現代美術館、2015年)
「その相互依存性を呼び起こす力が、菅木志雄の作品を開かれた表現にしている。彼の行為や設置は、ものが世界に存在する独自な形を認めるだけでなく、それを人に気付かせることによって、人がどのように物と関わり、世界のなかで生きていくのか、考えるヒントを与える。」
(松井みどり「菅木志雄の方へ:生成する世界を捉える仕組み」、
菅木志雄-カタログ、小山登美夫ギャラリー、東京画廊、2006年)
スピーディに変化を繰り返す現代社会の複雑な状況の中で、普遍的な世界の構造を抽出しようとする菅の作品は、「ものとは、作品とはこういうものだ」という象徴化をもとめる我々の視線を絶えずかいくぐり、様々なアプローチを仕掛けてきます。日常にある素材によって菅が新しい世界の幕を上げるとき、私たちは普段の意識から解放された、もう一つの新しい眼や活性化された精神を手に入れることが出来るのかもしれません。
もの派について
もの派はアメリカのミニマル・アート、イタリアのアルテ・ポーヴェラなどと同時期に隆盛した美術動向です。60年代から70年代のアートシーンにおいて、世界同時多発的に、それまで作品の素材でしかありえなかった「もの」自体や、「もの」を知覚する人間へ目が向けられたということは、多くの美術批評家にとって魅力的な課題となり、「前衛芸術の日本 1910-1970」展(ポンピドゥー・センター、1986)でまとまった形で紹介され、国際的な評価も高まりました。2005年国立国際美術館での「もの派―再考」、2012年ロサンゼルスのギャラリー、ブラム&ポーでの「太陽のレクイエム:もの派の美術」(キュレーション:吉竹美香、ワシントンのハーシュホーン美術館キュレーター)をはじめ、今日に至るまで多くの展覧会が企画されており、もの派は今後、国際的な注目をより一層浴びることとなるでしょう。
展覧会について
本展覧会は、小山登美夫ギャラリーでの個展としては今年3月のヒカリエでの展覧会以来、5度目の開催となります。出展作は、大きな壁掛け作品約10点、小さな壁掛け作品約20点、床置き作品約2点、全て最新作で構成されます。
今回の展覧会によせて、菅は次のように語ります。
「あるものを見るのは、それほどムズかしくないが、もののものたり得る内面性と本質を知ることは、なみ大抵ではない。また、いわゆる「作品」を表すことは、それほど困難なことではないが、「作品」の「作品」たり得る現実化された独自の存在根拠や場(空間)の内在化を身のうちに取り入れることは、なかなかムズかしい。ムズかしいけれど、表すことをつづけられるのは、知覚する空間やものの領域には、〈志向性〉というものがあるからである。表すニンゲンといえども、なんの目安もなく動けない。何らかの作業ができるのは、ものの向こう側にも、空間のこちら側にも、なにかあるのではないかと思わせる〈志向性〉があるからである。あるだけでなく〈志向する〉ことによって、別種の存在するものや領域がかい間見えるということだろうか。いわば〈志向しなければ〉なにも見えないのである 菅木志雄」
また、菅作品について、美術評論家の松井みどりはこう評しています。
(菅作品を鑑賞することにより)どれほど知識を積み上げても埋められない知覚の隙間が世界には存在し続けることの実感が、尽きることない自由の感覚をもたらした。
(松井みどり「菅木志雄の方へ:生成する世界を捉える仕組み」、菅木志雄ーカタログ、
小山登美夫ギャラリー、東京画廊、2006年)
国内外でももの派への注目が改めてクローズアップされている昨今にあって、菅はなお、ものや空間の本質を追究し、志向し、表現し続けています。今も現在を生きている歴史的なアーティストの、色褪せることのない自由な感覚による最新作を、同時代に生きる多くの方々にご覧いただきたいと思っております。ぜひこの機会にお越しください。
TOMIO KOYAMA GALLERY(小山登美夫ギャラリー)
http://tomiokoyamagallery.com/
東京都渋谷区千駄ヶ谷3-10-11
tel:03-6434-7225