EXHIBITION | TOKYO
オオトモクミコ(Kumiko Otomo)
「未必の故意」
<会期> 2016年8月31日(水)- 9月18日(日)
<会場> Bambinart Gallery
<営業時間> 12:00-19:00 月火休
このたびBambinart Galleryでは、オオトモクミコ個展「未必の故意」を開催いたします。
オオトモ クミコは1979年に福島県で生まれ、ファッション・デザイン系の専門学校を卒業しデザイン会社で1年半ほど働いたのちに、渡米を決意。当初9月13日であった渡航予定はアメリカ同時多発テロの影響で9月末に延期されたものの、周りの反対を押し切り単身ニューヨークに渡ります。現地で出版社やフリーのグラフィックデザイナーとして働く中で、日・米社会では解釈の異なる“ジェンダー”に対する意識が次第に強まっていくようになります。美術大学、スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツ(ニューヨーク)にて、ライフドローイングとアカデミック・ペインティングスタイルの教授らに師事。2012年の卒業後には、母国を再び実見し新たなる自己のスタイルの研究、発展のため一時帰国することを決断します。2015年には多摩美術大学大学院修士課程を修了し、現在は制作活動の拠点を東京に置いています。本展は、2014年10月に弊ギャラリーで開催した初個展「ペーパーナイフはつくられた」に次ぐ2回目の個展となります。
前回の個展では、実存主義的思考が深く影響しているオオトモのコンセプトを背景に、葛藤や苦悩が引き起こす絶望の渦中に在る“生気”が反映された作品を発表しました。本展は根底こそ変わらないものの、主として「未必の故意」に焦点を当て構成されています。 アメリカ同時多発テロと東日本大震災を実感できない無感情にも似た漂泊感、故郷・福島に対する遠く鈍い感情 、家族との関係性、およそ10年間を過ごしたニューヨークでの実体験を通じて、今なお拡がり続ける物理的、心理的距離をリアルに感じつつ取り組んだ新作と、未完の近作に新たに手を加えた作品を発表します。
「その罪は意図されたか、否かーー
今回の個展タイトルである「未必の故意」(Latin:Mens rea)は、法律用語であり、安部公房の書き下ろし戯曲の題でもある。「未必の故意」とは、結果が予想できていながらそれを実行する精神状態を指す。つまり、決定的な故意ではないが、罪になる結果を分かっていながらにして実行することである。例えば、仮に私が誰かを鋭いペーパーナイフで刺したとして、「このまま放っておいたら死ぬかもしれないが、それでも構わない」
という心理だ。
しかし、ここでは「未必の故意」を法律用語に限定して解釈しない。「未必の故意」は故意であるものの、罪を犯す意図の有無の判断を第三者がすることは極めて難しい。人の心内の意識を確実に証明する手段はない。それを認識できるのは唯一、自分自身の心のみである。
私たちはみな日々、小さな「未必の故意」による罪を繰り返しているのではないか。「そのつもりはなかったが、結果そうなってしまった」「わざとではない」それは無自覚かもしれないが、一種の確信的行動であり、諦め、そして絶望である。それは次第に精神を麻痺させ、日常的に「未必の故意」を繰り返すようになっていく。他人にはばれていないかもしれない、だが、自分自身はどうだろう、その故意に気づかない振りをしているのか、本当に気づいていないのか、もはや判断は難しい。しかしどちらにしても、それは、無意識に、でも確実に、健康な心を蝕んでいく。
『人間とはその行為の全体である』
と、サルトルは云う。サルトルの実存主義的な考え方では、私たちに予め与えられた本質や性質などはない。したがって私たちは日々の行為や言動により自身を創りあげていく。私たちは限りなく自由である。所以、正当化されるべき言い訳、逃げ道など持ち合わせていない。責任の一切は他の誰でもない、己にある。
だからこそ、ひとたび「未必の故意」を抱いてしまえば、それがいかなる理由にしろ”罪な存在”に成り下がる、と私はサルトルの言葉を解釈する。
今回発表する主な作品らは、この点に重きを置き、モチーフを選び、描いた。サルトルの言葉を自身の体験を以って自分なりに消化し、新作と未完作品に筆を入れた」
(オオトモ クミコ)
Bambinart Gallery(バンビナートギャラリー)
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