EXHIBITION | TOKYO
ベンジャミン・バトラー(Benjamin Butler)
「二色、単彩、そしてそれ以外の風景」
<会期> 2020年2月1日(土)- 2月29日(土)
<会場> TOMIO KOYAMA GALLERY
<営業時間> 11:00-19:00 日月祝休
この度小山登美夫ギャラリーでは、ベンジャミン・バトラー展「二色、単彩、そしてそれ以外の風景」を開催いたします。本展は作家にとって当ギャラリーにおける6度目の個展となり、新作ペインティング約20点展示いたします。
【ベンジャミン・バトラーについて】 ベンジャミン・バトラーは1975年アメリカカンザス州、ウエストモーランド生まれ。2000年シカゴ美術館附属美術大学ペインティング専攻修士課程を卒業し、現在はオーストリアのウィーンを拠点に制作活動を行っています。 今までに、ニューヨーク、ロサンゼルス、ロンドン、ウィーン、バーゼル、ベルリンなど、世界各国の都市で個展を開催しつづけており、近年の主な個展に、「Silver / Landscapes」(Klaus von Nichtssagend Gallery、ニューヨーク、2019年)、「Recent Trees and Monochromes」(Galerie Martin Janda、ウィーン、2018年)、「Trees Alone」(小山登美夫ギャラリー、東京、2016年)があります。また、彼は「sotto voce」 (キュレーション:ロバート・ボード、Bortolami Gallery、ニューヨーク、2019年)、「Verzweigt」 (シンクレア・ハウス美術館、バート・ホムブルク・フォア・デア・ヘーエ、ドイツ、2014年)、「Greater New York」(PS1/MOMA、ニューヨーク、2005年)を含め、国際的にも数多くのグループ展に参加しています。 バトラーは山や木々、自然をモチーフとした風景画を描きます。その単純化された枝や幹のフォルムは縦や斜線、三角、曲線等、幾何学模様のように、画面全体に余白なくリズミカルに反復されます。それらはコントラストの明瞭な色彩によって引き立たされ、具象と抽象の境界を模索するような独得の絵画表現を作り出しているのです。 彼の絵画は、コンポジションにおける様々な要素をもちながらも、シンプルで詩的な優しさ、そして現代的なクールさも漂わせます。鑑賞者は自身の記憶が呼び起こされ、物静かな瞑想の時間を与えられるでしょう。 今回の新作は、色彩がより鮮やかになり、慌ただしい現代に生きる私たちの気持ちを清々しくさせてくれるようです。この機会にぜひご高覧ください。
【本展および新作に関して – 東野雄樹氏によるテキスト】 今回、ウィーン在住でバトラーとも古くからの知り合いのアーティスト、美術評論家の東野雄樹氏に、最新作についての次のテキストを執筆いただきました。 |
ベンジャミン・バトラー 「二色、単彩、そしてそれ以外の風景」
文化史を通じて、広く受け入れられてきた美学的な理想が、それとは正反対の要素を取り入れるアーティストによって異議を唱えられた時期があった。マニエリスム、中でも複雑な幾何学 と視覚的な遊び心によって古典的な原理を覆したその建築が生まれたのは、そうした事例の一つである。1970年代後半にワイヤーなどのバンドがパンクのアコースティックなミニマリズムにシンセサイザーと美しいメロディーの構造を導入したのもそのような例の一つであろう。これらのムーヴメントは、豊かではあるが分類が非常に難しく、革新とそれに対する反動の繰り返しといった直線的でわかりやすい筋を好む傾向にある美術史に疑問を投げかけ続ける。そのような直線的な筋書きと比べ、一見両立し得ない対立項同士の融合はずっと説明し難い。マニエリスム建築を議論するにあたり、ロバート・ヴェンチューリはこう記した:
マニエリスムは(中略) オリジナルな表現よりも従来の秩序の方を認めるが、複雑さと矛盾を受け入れるために従来の秩序を破り、それによって曖昧さを取り入れる——曖昧さを明確に取り入れるのである。
(Robert Venturi & Denise Scott Brown, Architectures as Signs and Systems: For a Mannerist Time, The Belknap Press of Harvard University Press, 2004, p.74)
「曖昧さを明確に取り入れる」という一文は、ベンジャミン・バトラーの稀有な制作活動を要約してもいる。 バトラーはコンセプチュアリズムの方法論と絵画の言語とを同時に展開しつつ、その両者に反論を投げかける。彼の絵を個々に観ると、高度な技術を持った画家の作品として鑑賞者の胸を打つ。彼の絵の具遣いは巧みでありながらゆったりとくつろぎ、色のセンスは優美で、構図は精密である。様式は極めて抽象的だが、それでいて具象の跡がある。彼の作品を見慣れていない人なら、それが直感や美的な感受性に導かれたものだと思うのも当然だ。
しかしながら、彼の全作品を全体として観ると、まるで違うアプローチが現れる。過去16年間、バトラーはひたすら木というモチーフを描き続けてきた。一本だけの木、木のグループ、抽象的な風景の中の木——彼は絵画において可能な木の組み合わせを描き続けている。この連続と反復の運動は紛れもなく、ソル・ルウィット、ハンネ・ダルポーフェン、河原温などのアーティストに例示されるコンセプチュアル・アートの遺産に由来している。実際に、何年も同じモチーフを繰り返すバトラーの執拗さはロザリンド・クラウスがルウィットの作品に見出したのと同様のベケット的な不合理を示している。
直感的な絵画特有の実践と連続性に基づいたコンセプチュアルな過程——これら二つの態度はお互いに正反対のもので、敵対するものですらあると一般的には見なされる。バトラーは、個々の絵画が表現の幅広さを保ちながらも、それらの絵が精密で巧みに制御されたパラメーターからなる作品群に属することを可能とするシステムを自ら考案することにより、その融合を成し遂げた。コンセプチュアリズムと絵画的な関心との間にある緊張はアートにおける論議の中で解決されることなく続いており、そしてこの緊張は今日ではいくらか誤魔化され、相対化されて曖昧なまま放置されている。バトラーはこの曖昧さを明確に取り入れ、何年もかけた真っ向からのこうした取り組みを通じて比類ない一連の作品を展開してきた。
例えば、今回の展示に含まれる《緑の森(6枚のパーツ))》を見て欲しい。この作品は縦長の六枚のカンヴァスが、それぞれ緑色に塗られた後に1枚の横長の絵画を形作るべくつなぎ合わされている。個々のカンヴァスの間の狭い隙間は木を示唆している。一見厳格なモノクローム絵画かと思われるのは実は青々とした森の絵である。本作には戦後モダニズム、とりわけエルズワース・ケリーの影響がはっきりと認められる一方で、風景画や木々の描き方の可能性を押し広げる機知に富んだ手法でもある。彼の全ての作品の場合と同様、この作品の中でも美術史が反映されている。
展覧会タイトルに示されるように、風景画の歴史を検証することはバトラーにとって極めて重要だ。彼の初期の作品は誰にでもわかる「アート」の標識としての風景画というモチーフを、特にアメリカの文脈において探求していた。木という主題はこの初期の探求の時から、風景を象徴する兆しとして、あるいは印として現れた。彼の制作活動は何年もの間同じ風景を描き続けていると解釈することもできる。ただし個々の作品は異なる観点、スケール、解像度を以って描かれている。彼は言ってみれば、風景にズームイン/アウトするのだ。間近にいれば、絵は一本の木を示すし、ズームアウトすれば、見通しの良い眺めになるのである。
《緑(森の小道)》(2019年)と《緑色の木(二色)》(2019年)を比べてみよう。これらは縮小の具合と限られた色調において同じように正確である。それでも、この二つの絵ほど異なるものはない。森の絵はダイナミックな筆さばきで未来派を思わせる一方、木の絵は繊細でありながら気負っていない。おそらく木は森の中にあり、木の絵は森の絵にズームインした結果であるのかもしれないが、木に近づいていくうちに決定的な気分の変化もまた生じたに違いない。
美学的な姿勢においてバトラーと強い類似性を持つ人物に 、17世紀の日本の茶道家であり作庭家であった小堀遠州がいる。彼の美的哲学は「綺麗さび」として知られ、英語では「beautiful desolation(美しい侘しさ)」と訳せる。それは茶道の理想である「わび・さび」、つまり完璧でないこと、質素であること、農家が出自の慎ましい素材を尊ぶ考えと、茶道の創始者である千利休が忌み嫌った美と贅沢のための貴族的感覚とを組み合わせようとする、一見達成不可能な概念である。彼の作品の例として「擁翠亭」の設計があるが、必要以上にたくさんの窓があり室内が光に溢れる茶室は、明らかに利休が好む暗闇に対抗している。
強硬に反発し合うかのように見える二つの美学的姿勢を一つにしたいという思いと、結果として生まれる作品が独特で魅力的であるもののカテゴライズできない(あるいは自分自身のカテゴリーになる)という点において、小堀とバトラーとの間には明確なつながりがある。彼らを分類し難い理由の一つは、二人ともそれぞれの分野の慣習を放棄してはいないことにある。代わりに、その慣習と相反するものとを一つにすることで、慣習を使いながらそれを内側から覆してみせる。それぞれの作品では、この種の統合では避けられない矛盾や緊張感は隠されるのではなく、豊かさとして受け入れられる。 こうして、小堀は茶室や茶道具のデザインとしてはそれまで考えられていなかった要素を取り入れ、バトラーは複雑でコンセプチュアルなシステムを構成することで美しい風景画を作り出す。 バトラーは「複雑さと矛盾に応じるために従来の秩序を破る」。 言い換えれば、彼はコンセプチュアルな作品制作とはいかに成されるべきかという従来の概念を覆し、知的言説と絵画的美とを結びつける芸術的な姿勢を示しているのである。
東野雄樹
TOMIO KOYAMA GALLERY(小山登美夫ギャラリー六本木)
http://tomiokoyamagallery.com/
東京都港区六本木6-5-24 complex665 2F
tel:03-6434-7225