EXHIBITION | TOKYO
杉本博司(Hiroshi Sugimoto)
「火遊び Playing with Fire」
<会期> 2023年9月5日(火)- 10月27日(金)
<会場> Gallery Koyanagi
<営業時間> 12:00-19:00 日月祝休
三年間に亘るコロナ禍の後、久しぶりにニューヨークのスタジオに戻った私は大量の印画紙が使用期限 を過ぎていることに気がついた。写真プリントのための印画紙は生鮮食料品のように時間と共に劣化する のだ。杉本作品のプリントは、そのグレーゾーンの微妙な濃淡の表現が決め手だ。しかし劣化した印画紙 ではその表現は難しい。そこで私は考えをコペルニクス的に改めた。劣化を劣化として捉えずそれを美化 として捉えるのだ。古美術品は時間に晒されて劣化の果てに美化される。印画紙の白は鶏卵紙のような味 が付き、黒の色調には柔らかみが加味されていた。そこで私は三年の休暇中に体得した「書」の技法を暗 室に持ち込もうと考えたのだ。淡いオレンジ色に満たされた極端に薄暗い暗室の中に印画紙を置く、そし て筆を現像液に浸す。薄闇の中に手探りで文字を書く、その姿は見えない。その後一瞬の閃光のように光 を当てる。すると筆に触れた部分だけが文字となって黒く浮かんでくるのだ。
現像液による「書」がうまく機能することを実証した後、今度は筆を定着液に浸して実験をしてみた。 強い酸の刺激臭にまみれながら揮毫すると、今度は漆黒の下地に白い文字が浮かび上がった。私は見えな い文字に精神を集中させ、その文字の意味の発生現場に想いを馳せて書に臨んだ。
炎は不思議だ。変幻自在にその姿を変える。その姿を見つめていると別世界へと導かれるようだ。この惑星も、もともと太陽の炎から生まれたのだ。燃え盛る炎は誕生の秘蹟でもあり、燃え尽くす終焉の響きでもある。時に手を出し足を出して、燃え盛る炎の姿が「火」という字に転写されたのは見ての通りだ。
杉本博司
この度、ギャラリー小柳では2023年9月5日(火)から10月27日(金)の会期にて杉本博司の個展「杉本博司 火遊び Playing with Fire」を開催いたします。本展は、杉本が暗室の中で現像液や定着液に浸した筆を駆使して印画紙に書を揮った最新シリーズ「Brush Impression」から《火》を中心とした新作を初公開いたします。
子供の頃、火遊びをした。火はあぶないということはうすうす知っていた。火遊びを見つかる
と大人が騒ぐのでますます火遊びをした。周りにマッチ売りの少女がいて、悪ガキたちをそそ
のかし焚き付けた。
思春期の頃、火遊びをした。なにやらよくわからない説明のつかない衝動が突き上げてきて、
なんでも自分に説明しようともがく私の理性は、木っ端微塵にくだけ散った。
学生の頃、火遊びをした。学生運動のさなか、火炎瓶は若者の魂を煽った。機動隊がせまる、
必死で逃げた。こんなに早く走れるとは思ってもみなかった。
中年になって、火遊びをした。しかしすぐに後悔し別の火遊びを思いついた。深夜、和蝋燭に
火をつける。風もないのに爆(は)ぜる。木製暗箱で蝋燭の一生を撮った。儚い一生だった。
晩年になって、火遊びをした。残された時は火を見るより明らかだ。そこで火を見つめてみた。
炎の姿は火という文字に私のなかで結晶していった。印画紙に定着液で火を描いた。写真とは
因果な商売だ。意外と真は写るものだと今更ながら気がついた。
杉本博司
本シリーズは、三年におよぶコロナ禍の後にニューヨークのスタジオに戻った杉本が使用期限を迎えていた大量の印画紙を見つけたことから始まりました。本来なら劣化した印画紙は使用できませんが、古美術品が劣化の果てに美しくなっていくことに習い、杉本は劣化した印画紙を用いて作品を制作することにしました。「書」の技法を暗室に持ち込み、現像液や定着液に筆を浸し、手探りで印画紙に筆を揮いました。
今回の展覧会では《火》を中心に展観いたします。杉本によるところの「誕生の秘蹟でもあり、燃え尽くす終焉の響きでもある」火と幼少期からさまざまな関わりを持ち、「In Praise of Shadows 陰翳礼賛」シリーズでは、蝋燭に灯した火が辿った時間の軌跡を一枚の写真に収めました。本作では、薄暗い暗室の中で「時に手を出し足を出して、燃え盛る」様子を映し出すように筆を使い分け筆跡に多様な質感を与えながら、まるで火遊びをするかのように《火》を無数に書き続けました。一定時間印画紙を光に晒すことで文字に淡い桃色や赤色を写し、さながら大火事にでも見舞われたかのような色とりどりの《火》が展示空間を覆います。その傍には「炎」や「灰」が密かに紛れ込み、時に燃え上がり時に灰となって静まるさまざまな《火》の姿を物語っています。
杉本はこれまで、すでに「ある」ものに自身の解釈を加えて新しい表現へと発展させる試みを続けてきました。これを伝統的な和歌の手法になぞらえ、「本歌取り」と表現しています。今回の作品は、臨書を始まりとして「本歌取り」の解釈をさらに広げ、文字の起源について考察し、自然の形象である「炎」そのものを転写しました。杉本は試行錯誤の過程で、人類最古の文字の一つとされる「楔形文字」、古代エジプトで使用された象形文字が記された「死者の書」、大本教祖出口なおが神の言葉を書きつけた「お筆先」を参照しながら、表音文字の「あいうえお」に表意文字の漢字を当てはめて歌にした一連の作品を制作しています。
Gallery Koyanagi (ギャラリー小柳)
https://www.gallerykoyanagi.com/
東京都中央区銀座1-7-5 小柳ビル9F
tel:03-3561-1896