20世紀初め、芸術革新の機運がヨーロッパのあちこちで起こります。ロシアも例外ではありません。1910年代半ばには、具体的な対象がまったく描かれない、いわゆる「無対象絵画」を制作したカジミール・マレーヴィチ(1878-1935)や、木や鉄やガラスなどの素材を組み合わせ、レリーフ状の作品を制作したウラジーミル・タトリン(1885-1953)の手で、西欧諸国以上に過激な作品が生まれてきます。1917年に勃発したロシア革命は、さらにこの動きに拍車をかけます。ボリシェヴィキによる革命は専制政治を打ち倒し、労働者と農民の手に権力を奪取し、新しい社会を作ろうとするもので、世界中に衝撃を与えました。芸術家たちもそうした時代に呼応するかのように、芸術の革新を目指し、突き進んでいったのです。
アレクサンドル・ロトチェンコ
《「レンギス(国立出版社レニングラード支部)あらゆる知についての書籍」国立出版社レニングラード支部の広告ポスター》 1924年
厚紙の上の印画紙にグワッシュ、切り取られた紙
プーシキン美術館蔵
© The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow
かれらは絵画の革新を推し進める一方で、芸術の世界のみに閉じこもることなく、生産の現場とつながり、積極的に社会と関わり、日常生活の中に芸術を持ち込もうとします。この新たな動向、「構成主義」を担った芸術家こそ、アレクサンドル・ロトチェンコ(1891-1956)とその妻であり、芸術上のパートナー」であったワルワーラ・ステパーノワ(1894-1958)でした。かれらが何を見つめ、何を夢見たかを、ロシア国立プーシキン美術館とロトチェンコ・ステパーノワ・アーカイヴ所蔵のふたりの作品170点により紹介します。
アレクサンドル・ロトチェンコ
《避難梯子 連作「ミャスニツカヤ街の家」》1925年
ゼラチン・シルバー・プリント
個人蔵
© The State Pushkin Museum of Fine Arts, Moscow
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