野島康三(1889?1964)は、大正期の絵画主義写真から昭和初期の新興写真の時代にかけて活躍した、わが国の近代写真の誕生と展開において最も重要な写真家の一人です。また美術愛好家としても知られ、私財を投じて東京神田神保町に開設した画廊「兜屋畫堂」や自邸のサロンで気鋭の美術家たちの展覧会を開き、彼らのパトロンとしての役割を担いました。
京都国立近代美術館では1991年に渋谷区立松濤美術館との共催で展覧会「野島康三とその周辺」を開催し、1994年には野島康三遺作保存会から野島作品260点と資料56点の寄贈を受けました。
生誕120年を迎える今年、作品受贈後の新たな研究成果を鑑み、野島の業績を回顧する展覧会を開催します。特に今回の展覧会では、その写真家としての活動の軌跡を辿りつつ、同時代の美術家たちとの共同作業により出版された作品集(『中原悌二郎作品集』(1921)、『富本憲吉模様集』(1924?27))の仕事に着目します。
32歳で夭折した中原悌二郎(1888?1921)の遺作集に収録するための作品撮影を任された野島は、《老人(墓守)》や《若きカフカス人》をはじめとする中原の彫刻を複数のアングルから大胆なトリミングで撮影しています。本展では中原の彫刻作品と作品集に収められた野島による写真、さらに1930年頃に野島が手がけた写真作品をあわせて展示することで、撮影者としての野島独自の一貫した視点やモデルの捉え方を明らかにすることを試みます。
一方、陶芸家の富本憲吉(1886?1963)と野島は特に親交が深かったことが、富本が野島に宛てた数多くの書簡からもうかがえます。野島が自費出版した富本の模様集(1924?27)は、富本の模様原画を撮影した野島の写真を台紙に直接貼りこんだ形で編まれています。当時、機会印刷が主流となりつつある中で、あえて写真を用いた作品集を出版した背景には、野島と同時代の美術家たちの親密な交流の場の存在がありました。野島は兜屋畫堂や自邸のサロン、また野々宮写真館を提供し、彼らの活動を経済的・精神的に支援しました。本展はそうした当時の様子を如実に示す野島邸での展覧会の会場写真に加え、富本の模様集原画とそれらを撮影した野島の写真とをまとまった形で展示する初めての機会となります。
本展では京都国立近代美術館が所蔵する野島作品から厳選した約130点に加えて、作品集制作に関連する中原および富本の作品・資料約70点をあわせて展示することにより、野島が一貫して獲得しようと試みた対象への眼差しを探ります。
モデル F.
1931年
ブロムオイル・プリント
京都国立近代美術館蔵
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