「霧」 2004 1350×600cm
トレーシングペーパー/水彩/油彩/オイルパステル
オープニングレセプション: 1月10日(土) 18:00-20:00
協力: MIZUMA ART GALLERY
■山田郁予さんについて 会田誠
美学校の僕の元教え子で現在名古屋で活動しており、ハードコアな一部の美術愛好家からはすでに高く評価されている、新美泰史っていう若手アーチストがいるのですが、僕にとって山田郁予さんは、ある意味で彼と同じカテゴリーに属しています。
彼が初個展をした時も、請われて推薦文を書きましたが、およそ僕なんかが書くに相応しくない相手である、という意味において。
僕は大脳のごく表面を使って創作することを決めた軽薄な人間ですが、彼らの創作衝動は延髄あたりから来ていると思われる――要は「天才タイプ」ってことですが。
山田郁予さんとは僕が非常勤講師としてたまに行っていた武蔵野美術大学で出会いました。
彼女は自分のアトリエスペースをほぼ完全に密閉して、教授さえも中に入れさせない、精神的に厄介なものを抱えた生徒として教官室で有名でした。
教授たちは彼女のアーチストとしての優れた資質を感じながらも、そのあまりものディスコミュニケーションぶりに、すっかり手をこまねいている感じでした。
だからといって僕ならうまくコミュニケーションがとれたかというと、そうでもなく。
癖の強い若者と付き合いの多い僕ですが、彼女の「ハンドル・ウィズ・ケア」な様子はただごとではありませんでした。
下手に扱うとこちらが手を切る鋭い刺だらけの、それでいて自身は壊れやすい繊細なガラス細工のよう・・・とまあ平凡な比喩ですが、そういう感じでした。
彼女の絵には一部少女マンガ的なモチーフが現れるので、ここのところ多いガーリーなアーチストたちとの共通項は確かに見出せるでしょう。
また(これを言うのは蛇足かもしれませんが)過剰に美人であるがゆえに負ってしまった人生の負や陰の要素という点で、僕は勝手に松井冬子さんを連想してしまいます。
そんな先行する女性アーチストたちと彼女を分かつ大きな違いは、彼女たちが内々に持っている(ともすると世知辛くもなる)戦略性というものを、彼女がまったく持っていない、時代錯誤なほど純粋な「描き手」である点だと思います。
この余裕のない本気の壊れっぷりは、美大油絵科出身者の古き良き鑑とさえ言えるでしょう。
だから彼女を応援したいこちらの心状には、なにやら懺悔めいたものも含まれているのです。
ところで今回彼女が書いたステイトメントは、彼女自身のことがかなり正確に伝わってくる良い文章だと思います。
この、不安定に絶えず揺れ動く精神の様。かなりオリジナルなパンク精神。
殺伐とした言葉と同居する、一種のユーモア感覚。
彼女は小さな紙にドローイングや言葉を大量に描き/書き溜めてもいるのですが、それらを纏めた画文集のようなものも作れるのではないかと思います。
■Artist statement 山田郁予
浮かんだイメージを描く、という言葉はしっくりこなくて。
浮かぶのではなく、気が付くと周りが全部そうなって、突き落とされたようにその中にいる、という感覚に近いです。
描くのは概ねそのようなことなのですが、そこから脱出した感じもしないし、そこが今文章を打っている状態とどう違うのかというと、別に違わないですよ。
だからわたしは現実しか描いてないのだと思うんですけどね。
あと、この文は最近考えたこととかで良いからと言われたのでそれを。
わたしは閉じこもって制作をするし、他の色々の時も、可愛め、控えめに言うとインドア派。
で、何で閉じこもるようになったかを完結に言うと、こっち見んな、と思ったからで、ってことは作品を人に見せるのも、こっち見んな、なわけですが、他者が見て何か映るとしたらそれは美術として機能しているってことで、喜ばしいことなので、どなたかが何か言って下さったら「ありがとうございます。こっち見んな。空気銃で撃つぞ」て思うのではないかな、と思いました。展示前なのでそう考えました。
他はなんと言いますか、最近考えたことのメモを見ると、「あ、不安定なのね、ご苦労さん」で片付いたので、悲しくなってきたっていうか、絶望直結っていうかで、でも、大丈夫?とか元気?と聞いて下さったら、元気ですって言います、わたし。けど、けどもう帰っていいですか?
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